ヘタレな無職の日記

仕事ができず窓際に追いやられた無能リーマンが節約と投資、副業で資産形成し、31歳で退職しました。これからは少しの小遣い稼ぎ(Uberとか)と家庭菜園、資産切り崩しで生きていきます。

自分の幼少時代から大学時代までを語ってみる その②(小学校時代 ~校内環境~)

 

さてと保育園時代の次は小学校時代の話を書いてみようと思う。

この時期が一番波乱で悪い意味でかなり印象に残っているので、結構長くなると思う。

家庭内環境に関しては割と壮絶だったので、この時代のトラウマはかなり大きく、暗黒時代だったと思う。

ま、暗黒時代に関しては、サラリーマン時代もそうでしたが。

 

小学校の環境

低学年の時も保育園時代と変わらず1人で遊ぶか女の子と遊ぶことが多かった。

女の子たちとはよく一輪車に乗って遊んでいた覚えがある。

それとこの頃は結構生意気だったらしく、上級生の女の子から目の敵にされることが多かった。

全く記憶にないが、上級生の男の子も1人怒らせて、自転車のタイヤを投げつけられたこともあるらしい。姉貴曰く。

でも女の子から目の敵にされることのほうが多かった。

 

しかし同学年の女の子とは仲良くしていた。

この頃も特に男女の意識も無く、先生からも「男女分け隔てなく接することができる。」と褒められたこともある。

特に男の子を避けていることは無かったが、男の子からは私は相手にされて無かったことのほうが大きいかな。

そんな感じで小学校4年生まで過ごしてたけど、小学4年生くらいからインテリになりたい欲が強くなってきた。

周りから頭が良く見られたいとか真面目に見られたいとか思うようになり、クラスの代表委員とかにも率先して立候補したりした。

クラス発表会とかも自分がリーダーになろうとしたりととにかくそういうバイタリティが強かった。

今じゃ考えられないが。

クラスの子からは「ちびまる子ちゃんの丸尾君みたい。」とよく言われたのを覚えている。当時それを言われると嬉しかった。(笑)

 

それと何か正義感的なのも強かった。クラスの悪ガキが他の子にいちゃもんを付けようとしたら、それに割って入って反論したりもした。

それでその悪ガキたちから嫌われるようになったんだけど。

とにかく曲がったことが許せなくて、ルールを破る子とかいたら、率先して捕まえて、説教したりしましたね。(笑)

 

しかしある時、トイレ掃除の時に同じ班の中にその悪ガキの友人の1人がいたんだけど、俺はそいつの前で、悪ガキのリーダー格だった奴の悪口を言いまくってしまって、そいつがそのリーダー格のやつにそのことを告げ口してしまいました。

それに怒ったリーダー格は、仲間5人と一緒に私のところへ来て、怒り狂った感じで私に問いただしてきた。

私もそれに気圧されたのもあるが、悪口を言ったという事実は否定できなかったので、それに全く反論できず、その場で泣き崩れてしまった。

当時、小学生にとって、男が泣くことは弱虫扱いされたので、私は泣いてしまったことで敗北と屈辱を味わうことになった。

それをきっかけに自分に自信を無くし、正義感を喪失。他の子がその悪ガキたちから酷い目に合わされていても、見て見ぬふりをするようになりました。

悪ガキたちからもバカにされるようになり、ぞんざいな扱いを受けるようになりました。

例えば体育の時間にサッカーをする際はみんなが嫌がるゴールキーパーに必ず指名されたり、トイレ掃除の際もホースで水をかけられ、それに応戦するように持っていた塵取りで防いで見せて、相手に合わせて遊んでいるように見せたりしましたね。

実際はみじめな気持ちだったし、悪ガキグループから攻め立てられた時、一度泣いてしまったので、敗北者の意識が強くなってしまい、反抗する気がすっかりなくなってしまった。当時はかなり情けなくなりましたねえ。

 

そしてもう1つ、悪ガキとはまた関係のない忘れられないエピソードがある。

当時女の子と学校ではよく遊んでいましたが、学校の外で遊んでくれるような友達はあまりいませんでした。

1人男の子で仲良くして一緒に遊んでくれた子がいました。その子は小学2年生の時に転校してきた子だったかな(N君とする)。小学3年生の時にもう1人転校してきた子とも仲良くなり(K君とする)、その子含めて3人でよく遊ぶようになった。

当時その2人しか友達がいなかったもんだから、ここから自分の友達の少なさを意識するようになってきたかなと思う。

一度N君が家に遊びに来てくれた時、「友達になってくれてありがとうね。俺君以外友達がいなかったから。」と泣きそうになりながら伝えたことがあります。

確か小学校5年くらいの時かな?

しかし、それを伝えてからN君が豹変して、「ボンは友達がいなくて寂しいやつww」とか「ボンは友達がいないからなあ~www」とか学校で小ばかにするような言動で私に向かって言うようになり、ショックだったのと、そこから友達が少ないことを恥ずかしいという意識がさらに強くなっていった。

K君もN君と一緒になってバカにするようになってきた。

しかし、そんなことがあっても、自分はN君とK君がいないと友達がゼロになってしまうので、ズルズルとその子達と関係を続けていた。

N君とK君に関しては、当時他にも友達が多かったように思う。

そしてN君とK君と遊ぶ時はその取り巻きの友人たちも一緒になり、大体5,6人で遊ぶようになった。

しかし、最初はみんなで楽しく遊ぶのですが、途中から飽きてきて、次第にN君が私に矛先を向けて不満を言うようになり、周りもそれに同調して、私に酷い言葉を言ったり、みんなで私を責めるようになった。

酷い時は石を投げたり、自転車も壊されたりとだんだんいじめみたいな感じになっていきました。

そういうのが毎回遊ぶたびに続くようになりました。

 

だけど、前述したように、私は友達がいないことを気にするようになり、その子と縁を切っちゃうと、友達がほぼゼロになっちゃうわけです。それを嫌がってズルズルと関係を続けてしまった。

そういうのを繰り返していくうちにそのことが義母(後述するが、この頃は前の母親とは離婚して、1か月後くらいに父親が新しい女の人を連れてきて、その人が新しく母親になった(笑)。いわゆる義母です。)の耳に入り、怒った義母は私を連れてN君の家に行き、夜中に怒鳴り散らして、相手とその両親をかなりの剣幕で攻め立てていましたね。

私は泣いてばかりだったのと、相手の子が私を睨みつけていたのを今でもはっきり覚えている。

ただ、これをきっかけに友達を無理に作ろうとは思わなくなり、1人孤独で過ごすのも嫌だったけど、仕方ないと思って恥を忍んで過ごすようになりました。

今思うと、私もその子のことをチビと罵ったり、自分の家にゲームが無く、その子の家にはゲームがあったので、そのゲーム目的にその友達の家に遊びに行ったりして自分勝手なことをしてましたね。

マイペースの度を越して、かなり自分勝手だったと思う。

そういうのがチリに積もって、その友達も私に嫌悪感を示すようになったのかなとも思います。だからあんなに睨みつけてたのかなあと。

私にも原因があったと今では思います。

 

とまあこんな感じで高学年から、悪ガキに泣かされて、自信を喪失し、悪ガキに嫌がらせされている子を見ても、見て見ぬふりで助けなくなったし、そこを引け目に感じて性格もかなり暗くなっていきましたね。そして後述しますが、家庭内環境も悪化していたので、この辺もかなり人格形成に響いたように感じます。

次はその家庭内環境について書こうと思います。

家庭環境に関しては、割と壮絶なので、ここでのトラウマは今でも大きいですね。