ヘタレな無職の日記

仕事ができず窓際に追いやられた無能リーマンが節約と投資、副業で資産形成し、31歳で退職しました。これからは少しの小遣い稼ぎ(Uberとか)と家庭菜園、資産切り崩しで生きていきます。

自分の幼少時代から大学時代までを語ってみる その④(中学校時代)

さてと、中学時代を語りますかあ。

この時代は暗黒時代というか黒歴史に近いって感じですね~。

では覚悟して書いていく・・。

 

中学校時代 学校での体験

では、校内で経験したことを書いていく。

中学1年の頃は、小学校高学年の時に悪ガキグループや親しくしていた友人からいじめっぽいことを受けた経験から、これは自分の弱さに原因があると思って、中学校からはちょっと不良っぽくツッパッてみようと、変わろうとしていました。

何をどう具体的に変えたかというと、一人称を「僕」から「俺」に変え、道を通る時、人がいて通れない時は「どけや!」とか言って強い言葉を使って自分を強く見せようとしてた。

どこかの藍染様から何か指摘を受けそうだけども。

 

そんな風に過ごしてたら、女子から「ボンって俺って言うようになったんだww似合わなーいww」とか言われてたけど、ずっと使ってたら、何か普通に馴染んでいきましたね。

でも「どけや!」とかそういう暴言は次第に言わなくなったね。これ使いながら内心ビビッてましたからねww

 

それと中学時代に小学校時代の悪ガキグループのリーダー格の1人だった奴と、何か喧嘩して、一発顔を殴られたことがありました。

それに腹が立った私は義母に愚痴ったことがありました。それを聞いた義母は怒り狂って、そいつの家に電話して、問いただすと、相手は「遊びだった。」とか言い訳言うもんだから、義母がさらにブちぎれて、「今度うちの子に手を出したら、お前の家の前で大声で怒鳴り散らしてやるからな。」と脅したことがありましたね。

以後そいつからは絡まれることは無くなりましたね。

そのせいか知らんが、うちの義母について、校内で噂が立つようになり、私と距離を取る人が多くなったような気がします。

その悪ガキだったようなやつも不良化して、トイレでタバコ吸ったりと悪そうな奴とよくたむろしてましたね。

気の弱そうな上級生をボコボコにしていじめたりしてたのは見たことあるので、当時はそれを見てショックでしたね。

 

ちなみに小学校時代に仲良くしていて、義母の怒鳴り込み事件で仲違いしたN君もそいつとつるんでタバコを吸ったりして不良化していきましたね。

明らかに私とのあの出来事がきっかけで闇落ちしているような雰囲気がありました。小学校時代に比べ表情も暗く、「何で俺がこんな思いして生きなきゃならねえんだ?」と常に何かに憤りを感じてるような表情だったのが忘れられません。

 

ちなみに私もそれ以降、ぼっちで過ごすことが多くなった。

一応絡んでくれる子はいたけど、陰キャラの子で、私は自分が陰キャラだと思われたくないので、その子とは自分から距離を取ったりしてましたね。

いくらぼっちじゃなくても、陰キャラとつるんでいるとそれはそれで周りが「陰キャラww」とか言ってバカにしてくるので、どうせなら陽キャラの友達が欲しいと当時は思っていた。

陽キャラとつるむことで、自分も同じレベルに見られたい的なエゴの塊でしたね。

 

そして中学2年になると、私はぼっちでいることがさらに気になりすぎるようになり、かつ陰キャラだと思われたくないが故に、陽キャラの子で話しやすそうな奴に積極的に話しかけたりするようになった。

1人話しやすい陽キャラの人がいたので、そいつに纏わりつくようになってしまったが、周りがそれをヨシとせず、俺とそいつを引き離そうとした。

そうしているうちに、そいつも周りに感化されて、私と距離を取るようになっていきましたね。

当時「野ブタ。をプロデュース」という堀北真希主役のいじめられっ子を陽キャライケメン2人が持ちあげてプロデュースするというドラマが流行っていたんですが、そいつと周りにいた陽キャラがそのドラマをネタに「お前をプロデュースしてやるよ。」と言うようになってきたので、ここで私も自分からそいつと距離を取るようになりましたww

今思えば陽キャラコンプレックスが自分は酷かったように思います。そして、自分と同じような陰キャラで、私に構ってくれていた子のことを蔑ろにしていたことを反省し、自分は自分と似たような系統の人で、気が合う人と仲良くしようと思うようになりましたね。

そのほうがやっぱり仲良くなりやすかったです。

 

それと中学2年生の時は女の子からやたら嫌われて、「きもい!」とよく言われましたね。小学校とは打って変わって、めちゃくちゃ女の子に嫌われました。

クラスで好きだった女の子(実際好きだったのかどうかは今ではよく分からん)も周りの奴がバラして、その女の子から避けられまくった時はホントにショックでした。

小学校時代は仲良くしてた子でもあったから尚更にショックがデカかったですね。

 

ただ、中学3年生の時は、クラスの気が強い女の子が絡んできて、「きもい」とも言わずに普通に接してくれたおかげか知りませんが、それを見ていた周りの女子は私のことを「きもい」とかあまり言わなくなりましたね。

中学3年生の時は、高校受験で忙しかったのもありますが、女子からきもがられることも少なくなり、そこまで悪い思い出は無いです。勉強漬けだったのはもちろん嫌でしたが・・。

それと中学3年の頃には、割とみんな少し丸くなってきたような気がします。

ただ相変わらず私はぼっち気味だったので、修学旅行の班を決める時は好きな者同士で決まるのですが、私は1人余ったので、先生から「誰か入れてやってくれ」とか言われた時は非常にみじめな気持ちになったのは覚えています。

仲良くしてた子は一応いたんですが、その子は別のグループに入っていたので、私は1人余ってしまいましたね。

 

部活動

部活動はテニス部に所属していました。

入部した理由は簡単そうだったからw

ま、実際はそんなことはなく、めちゃくちゃへたくそでした。

それと私の所属していたテニス部はシングルではなく、基本ダブルスだったので、2人1組でチームを組まされます。

チームプレーだったので、それがさらに良くなかった。

私は前衛を任されることが多かったのですが、前衛が取るべき相手のショットを取れなかったり、「ここは後衛に任せるべきなのか、前衛が取るべきショットなのか」と判断力も迫られるので、前衛が打つべき相手のショットを取らなかったりすると、後衛から物凄く怒られ、喧嘩によくなりました。

なので、私と組んだ子はすべからず全員、仲違いしましたww

この頃から在職時の無能ダメリーマンの兆候が姿を見せ始めてるなあ。

当時の私は、球技が苦手なだけで、個人競技だったら何とかなるかもなあってくらいでしか思ってませんでしたが。

実際球技も下手だったけど。なんていうか不器用だと球技はダメですね。

 

球技はへたくそなのもあるし、同学年の私に対する扱いを見ていた後輩からもよく舐められ、バカにされてましたね。

これを機に、こんな嫌な思いするなら、高校から部活は入部しないと心から決意したのを覚えています。

ま、実際は高校2年から水泳部に入部したんですけどねぇ~

 

家庭環境

さてと家庭環境については、この頃には姉2人もいなくなってて、私1人でしたね。

特に父親や義母ともギクシャクすることもなく、過ごしてた。

ただ、反抗期で、よくケンカしましたね。

特に嘘ついたりすると、狂ったようにキレられたのは覚えてます。

義母は特に私に舐められないようにと、徹底的に私を抑えつけようとしてた感じはありますね。

暴力はベルトで鞭打ちされたくらいかな。

 

それとこの頃から家事の手伝いもかなりやらされるようになったね。

皿洗いとか、洗濯物干したり、畳んだり、草むしりとか。

嫌がる素振りを見せるものなら、「何やその顔は!?」と眉間にしわ寄せて、怒鳴られることもしょっちゅうでしたね。

こんな感じかな。

ま、小学校時代の時に比べればまずまず平穏でした。

 

それと新しく犬を飼ったのもこの頃だったかな。

当時は3匹飼ってて、小学校時代に2匹はすでにいたんだけど、3匹目もやってきた。

この犬たちが唯一の私の癒しだった。

 

さてと中学時代の学校生活はこんな感じかな。

結局自分を強く見せようとしたけど、本来の自分の姿とのギャップを埋め合わせるほどの能力とメンタルは無く、さらに弱くなっちゃって、結局周りからもさらに距離を取られるということが大きくなっちゃった気がします。

ただ弱すぎても、いじめの標的にされるかもしれないしねえ・・。

ま、でも足るを知れじゃないけど、「自分はこの程度なんだ。」という気持ちは中学2年の陽キャラコンプレックス云々の件で悟れた気がします。

でも、まだまだ自分が仕事もろくにできない社会不適合者なんだとは夢にも思ってはいなかったですね。

さてと次は高校時代を書いていく。