私の母親は私の躾のために、この諺を使っていました。
「立つ鳥跡を濁さず」
この諺の意味は立ち去る者は、見苦しくないようきれいに始末をしていくべきという戒め。 また、引き際は美しくあるべきだというものだ。
「立つ鳥跡を濁さず」という諺が好きだった。
母親がこの諺を引用して私に主に何を躾ていたのかというと、例えば食事を済ませた後は皿を片付けて、洗いまで済ませないだとか、料理で使った食器や鍋は洗って、元あった状態に戻しなさいだとかそういうことだ。
この諺、当時私は本当に好きでしたね。何というか語呂も良いし、表現に鳥を使ってるのもなんか良いし。ていうかかっこいい。
使ったものは元に戻すとかそういう簡単な行為が、「立つ鳥跡を濁さず」という諺を引用することで、かっこいい行為に思えませんか?モチベーション上がりませんか?
どんな簡単な行動でも、この「立つ鳥跡を濁さず」という諺を意識してやれば、その行動が素晴らしい行動のように思え、そして自分は素晴らしいことをやっているんだなと少し誇らしい気持ちになったものです。
人に説明するときも、諺を使うと妙に説得力が増すものだ。まあどの諺でもそうだが。
しかし、仕事になると
仕事では当然、「立つ鳥後を濁さず」という諺が好きだったとは思えない自分がそこにいたわけですよね。
・他人からの仕事の依頼は忘れたふりをして放置。
・書類の整理ができない。片づけない。
・異動前の部署で地雷案件を放置したまま業務の引き継ぎをしたり
立つ鳥後を濁さずではなく、立つ鳥跡を濁さずにはいられなくなってしまった。
ま、仕事をしているときはこの諺を意識してやっているということは正直無かったんですが、今思うと立つ鳥跡を濁しまくる行動をしていたなと感じていますね。ええ。
しかし、これも自分に降りかかるストレスを極力回避するための行動だったと思うしかありません。というか実際そうでしたし。
なので、かっこよくないし、スマートでもないが、少しでも仕事を完璧にこなそうと思えば思うほどテンパりまくってプレッシャーで追い詰められ、健康を害していまうのに比べたら遥かにマシではある。
といった感じで、いつしかこの諺に魅力を見出せなくなってしまった。というか、この諺は俺なんかが引用して使っちゃいけない諺だいう意識に変わってしまいましたね。
プライベートでは、この諺重要かな。
ただし、プライベートでは「立つ鳥跡を濁さず」という諺を意識し行動するのは大切だなと思う。
部屋を散らかしたら後片付けする。料理したら後片付けして元の状態に戻す。
物を片付けるだとか、綺麗にするだとか、普段の生活においてミニマリズムに直結する行動だとは思うので、生活の質いわゆるQOLを向上させるモチベーションを上げるには、良い諺かと思いますね。(ま、この場合、その場を立ち去るわけではないが)
「部屋片づけなきゃ!!ほら!!立つ鳥跡を濁さずって言うだろ!?」
こうして使ってみると、やはり妙に説得力が増しますね。説得力というか決め台詞には良いといった感じかな。
ただし、使いすぎは注意ですね。他人に言うときとかは。
諺や決まり文句などは引用しすぎると押しつけがましいものになってしまいますから。
「言われるうちが華だよ」みたいに、言われるとイラっとくるものにはしてはならない。