ヘタレな無職の日記

仕事ができず窓際に追いやられた無能リーマンが節約と投資、副業で資産形成し、31歳で退職しました。これからは少しの小遣い稼ぎ(Uberとか)と家庭菜園、資産切り崩しで生きていきます。

寂しさが怖いからと言ってセミリタイアをあきらめるか?

以前書いた記事で、セミリタイア後に孤独との戦いが結構重要な問題になってくるのではないかと書いた。

孤独を深めることによる寂しさが嫌だというのなら、セミリタイアは諦めるか?とふと思ったので、今回はそのことについて記事にしたいと思う。

まず、第一にセミリタイアを諦めるということは決してするつもりはない。

孤独が嫌か?と言われると、嫌じゃないというと嘘になるかもしれない。でもそうは言ったら今でも孤独なのである。

友人はいるが、ほとんどが実家の関西で働いているので会えるのは帰省した時だけだし、関東にいる友人だって、そう何度も会ったりはしない。そして、今は寮だが1人暮らしだ。

会社の人間なんかは私のことを仕事ができない、雑用ばかりやらされ、草むしりもやらされている情けない人間だと噂しているので、奇異な目で見てくるし、周りの同僚だって私を敬遠しているので、現在もかなり孤独である。

それでも、正直私は今は人生を楽しめていると思っている。というか楽しい。会社にいる時以外は。

休日も1人でミステリーショッパーこなしに行ったり、1人で釣りをしに行ったり、1人で旅行行ったり、1人でサイクリング行ったりと1人でばかり行動しているが、そこまで孤独を感じ、寂しさを感じ過ごしていない。

ま、たまに一緒に釣りをする友人が欲しいとか、女友達が欲しいとか思うときはある。

けど、今はそこまで寂しさで空虚な気持ちになることはほとんどないのだ。

では、私がセミリタイア後に恐れている寂しさとは何なのだろうか?

1つは若さを失うのが寂しいというのがある。

若いとまだ色々なチャンスや可能性というのがあるじゃないですか。それが年を取ると、無くなっていく。

自分がどんどん気持ち悪いおじさんになっていくという辛さもある。

それと年を取ったら、若さは二度と取り戻せないのでそれに寂しさを感じるのかなと思う。

若い子を見て、「ああ、自分はもうあんな元気にはしゃげないんだな」っていう切なさも感じながら、生きていくのかなあと・・。

それは人間誰もが年を取るんだから、誰もが一緒だろと思うかもしれないが、セミリタイアして家に引きこもっていると、そういった余計なことを考えてしまうから寂しさを感じ、より孤独を深めることになるのかなあと思う。

というか、今はなんやかんやで会社では色々雑用をこなしながら、いつまた激務の部署に飛ばされるか分からない不安や早く辞めたいことばかり考えているので、寂しさを感じる余裕が無い。職場にいると嫌でも別のことを考えてしまうからね。

それがセミリタイアして働かずにいると、心配事が無くなって、今度は寂しさを感じる余裕ができてしまう。

こういうことで、より自分で孤独を深めてしまうのじゃないかな?

だから寂しさを感じないようにするには何かに打ち込むことが必要なのかなと。寂しさを感じる余裕が無いほどに。

とはいっても熱中するほど打ち込める趣味みたいなのは私には無いので、セミリタイアしても働くことになるのかなあと。

そういった点では、やはり完全リタイアではなく、少し働きながらフリーター的なライフスタイルで過ごすセミリタイアが良いだろうな。できれば短期派遣で数か月、週5日労働を味わい、「やはり自分は労働が嫌いだ」と再確認をし、また無職になる楽しみを考えながら過ごす。小学生でいう夏休みを楽しみに過ごす的な。そしてまた数か月無職で過ごして、また短期派遣を数か月やるというのが理想的かな。

こういうライフスタイルであれば、余計なことを考えないし、寂しさを感じることなく楽しい生活が送れるのかな?

ということであくまでセミリタイアしたいという気持ちは変わらない。だって自分の一生を会社のド底辺として過ごすの嫌だもん。これだけは譲れない。