ヘタレな無職の日記

仕事ができず窓際に追いやられた無能リーマンが節約と投資、副業で資産形成し、31歳で退職しました。これからは少しの小遣い稼ぎ(Uberとか)と家庭菜園、資産切り崩しで生きていきます。

会社「固定観念に囚われちゃダメ!!」私「まさにその通りではないか。」

研修などで会社がよく言っていたセリフがある。

それは仕事を進めていくうえで新しい発想を生み出していくには固定観念に囚われちゃダメだということである。

競争社会を生き残るためには、今までに無い製品を生み出し、他社に勝っていかないといけない。そのためには今までの概念に囚われず、柔軟な思考で新しい発想を生み出す力を身につけないといけない。

アメリカのアップル社のiPhoneを例によく言ってたものだ。今も言ってるが。

しかし、会社側は自分たちの利益を確保するために必死だ。そのためにこうやって社員にプレッシャーを与え、社員に新しい発想を生み出してもらい、会社はその手柄を横取りして、会社のものにしてしまう。

「我が社の技術力!!」「◯◯社は◯◯の先端を行くパイオニア」とか宣伝文句でよく使ってたりするが、実際はほぼ社員の中の特定の個人による功績によることが大きいだろう。

青色LEDの事件もそうだったし。

社員は社員でこの日本社会で立派に社畜精神を植え付けられているので、この会社からのプレッシャーを真摯に受け止め、会社の利益のために必死こいて働く。

しかし、会社の経営陣は、固定観念に囚われるなとか言っときながら、社会の一般常識、マナーやルールなどには未だに固執していたりするんだよね。それが業務効率を上げる足枷になっていたとしても、それに逸脱する者がいれば叫弾しようとする。

画期的な新しい商品を生み出すには、今までの常識に囚われず、新しい発想を生み出せというのなら、その考え方は自分の人生にも適用して良いだろう

社員は社員で自分たちが酷使され、安い給料で突き動かされていたとしたら、こういうもんだと思わず、疑問を持ったほうが良いだろう。

みんながみんな当たり前だと言っていることは実際穴が多いことが多い。

例えば「言われるうちが華だよ」てセリフ。このセリフが意味するのは、周りが自分に色々うるさく言ってるのは、君に期待しているからだよというもの。

しかし、実際は言われるだけ言われてストレスを溜めてるだけのことが多い。それで潰されている人を目の当たりにしている以上、言われるうちが華なんて理屈は言うほうの都合の良いように作られたものとしか思えない。

当たり前だと思っている人は、特に理由が無くても、周りが言ってたからそうに決まってると信じ込んでいる方が多いだろう。

正社員じゃないと、この先生活はしていけない。とか言ってるのもよく聞くが、この根拠は何だろう?

お金の使い方や管理を工夫すれば、非正規社員でもやっていこうと思えばやっていけるし、何で不安になるか?

その理由は大半が周りがあまりにも不安を煽るせいとも言える。

みんなが当たり前だと言っていることに対し、ホントにそうなのか疑問を持つこと。それが人生を幸せに生きるためのスタート地点だと思う。

サラリーマンという生き方だけが人生じゃないということに気づいて、自分で独立して起業をすることを目指すか、はたまた、私のようにセミリタイアを目指してストレスの少ないニートライフを目指すか何でも良いが、自分の人生こそ、社会の常識なんかの固定観念に囚われず考えたほうが良いだろう。

とつくづく思う。