ヘタレな無職の日記

仕事ができず窓際に追いやられた無能リーマンが節約と投資、副業で資産形成し、31歳で退職しました。これからは少しの小遣い稼ぎ(Uberとか)と家庭菜園、資産切り崩しで生きていきます。

辞める時は会社で味わった経験美化しちゃうのかな?

ふと会社を辞めるときの自分を想像することがある。

上司に退職願いを叩きつけ、すがすがしい気持ちで、会社を辞めているのかと思ったら、何か「色々あったなあ」っとしみじみとした気持ちになった。

なんだこれ?

会社で味わった辛酸はこの程度のものではなかったはずだ。

1年目、2年目、3年目ともう一度、思い返してみた。

希望の部署とは違う、超コミュ能力が必要な部署に配属され、そこで自分のコミュ障が露呈し、周りと全然うまくやれず、更には上司が鬼のようなサイコパス上司で「お前は他の同期に比べたらかなり劣っている。」「育て方間違うとお前みたいになる。」「何でそんなにコミュニケーション能力が低いんだ?」などとパワハラ発言を繰り返され、精神的に追い込まれた日々。そして人事にもボロクソに言われた日々

何とか異動できても、そこでも対人恐怖症がネックとなり、任された仕事もどんどん溜まっていき、見かねた上司が私からすべての仕事を取り上げ、社内ニートしていた日々

後輩の世話役を任され、そこでも持ち前のコミュ障とリーダーシップの無さに、後輩は呆れ、笑われる日々。担当した後輩どもは現在私とすれ違っても挨拶は無くスルー。私の顔すら見ようとしない状態。まあ俺の対応がよっぽど酷かったのは承知しているが・・。

もう、苦痛と屈辱が混同した日々だったので、思い出すと鳥肌が立って、発狂しそうになる・・。

セミリタイアまでの残り8,9年、まだまだこれからも色んな苦痛と屈辱を味わうことになるだろう。一体何が待ち受けているんだか・・。

なのに、辞める時のことを想像すると、「あ、色々あったなあ(穏やかな表情)」としみじみ微笑みながら会社を立ち去る自分を想像してしまった。

確かに楽しいこともあった。E君みたいに私を慕ってくれる後輩もできたわけだし。それでも、楽しかったことより辛かったことのほうがはるかに多かったぞ。

まあ、これは会社を辞めるという精神的余裕により、今までに味わった辛酸をすべて受け流し、私を追い詰めてきた上司や人事のことも許してあげられる心の広さを持つことができるということなのかねえ。

会社を辞めるという一大イベントは山あり谷ありの人生の中で最も高い山にいる状態だろうしね。

ま、過去のことを美化することはさておき、セミリタイアまでの間、給料を払い続けてくれたことには感謝しておくかな。ただし、それは今の雑用係のような楽な仕事で給料を貰っている状態の場合だがね。