ヘタレな無職の日記

仕事ができず窓際に追いやられた無能リーマンが節約と投資、副業で資産形成し、31歳で退職しました。これからは少しの小遣い稼ぎ(Uberとか)と家庭菜園、資産切り崩しで生きていきます。

セミリタイアって自分に向いているかどうかでするもんなのかな?

コロナウイルスで自宅での自粛を余儀なくされていますが、普段から引きこもりの人は何とも思わないようで。

引きこもり正義みたいな感じですね。自宅ですることが何もない人間はセミリタイアは向いてないなんて煽ったセリフも目にしましたが、これどうなんだろ?。

大体セミリタイアラー全員が自宅で引きこもりだとは限らないわけですし、そもそも人間は飽きる生き物ですよね。別の刺激が欲しくなったりするものです。

私も暇になると「刺激」が欲しくなるときありますね。国内旅行ばかりしていたら、ちょっと飽きてきて海外旅行にも行きたくなりましたし。

それでも私がセミリタイアを目指す理由は、サラリーマンが自分に向いていないから、社会不適合者で苦しいから目指すのであって、セミリタイアに向いているか向いていないかは二の次なんですよね。

そもそもセミリタイアに向いているか向いていないかって考えている時点で、洗脳された日本の社畜達と同様、人生仕事ありきで考えているともいえるかも。仕事というのは賃金労働のことね。

もし賃金労働が存在しない世界で生きていくとしたら、どう過ごすか。

人生なんて、所詮暇つぶしなわけです。どんなに立派な目標を掲げ、起業を目指そうが、仕事にすべてをささげようが、どれも暇つぶしなんです。(貧困にあえぎ、余裕のない生活をしている者を除けばだと思いますが)

セミリタイアに向いているからセミリタイアをするんじゃなくて、どのような生き方自分にとって一番楽で幸せかで人生を決めるのであって、それがセミリタイアだっただけじゃないでしょうか。

退屈なのは苦痛だけど、賃金労働はもっと苦痛。それならセミリタイアを目指せば良いでと思います。

今はコロナウイルス蔓延で自宅待機を余儀なくされてますが、私の場合、自宅にいるとやることが無いというわけではないが、家にずっといてもしんどくなるので、こういうのも「セミリタイア向いてません」とか言われちゃうのかな。

「暇が耐えられずに何かしたくなる人間はセミリタイア向いてません!!」

こういうこと言う人最近増えているような気がしますね。

ただ、本当に何もしないのは精神的にもしんどいと思います。

でもやることなんて考えなくても普通にあるとは思います。読書や運動、家事など、やることは普通にあると思いますね。これらは健康的に生きていくためにも不可欠かと。

これらが楽しめないと逆にダメなのかも。

セミリタイアに向いていない人というのは、少ない資産でやりくりできず、低コストで趣味が楽しめず、そういった生活が苦痛な人間でしょうね。消費大好き人間じゃ、すぐに破綻してしまいますからね。

でもそれ以上に仕事が苦痛なら?

結局セミリタイアを実行するかどうかは、低コスト生活が苦痛か、賃金労働が苦痛かのどちらになるかで決まるんじゃないでしょうかね。