ヘタレな無職の日記

仕事ができず窓際に追いやられた無能リーマンが節約と投資、副業で資産形成し、31歳で退職しました。これからは少しの小遣い稼ぎ(Uberとか)と家庭菜園、資産切り崩しで生きていきます。

新幹線殺傷事件の加害者とヤンキーDQN

新幹線殺傷事件で無差別に人が刺され、1人が死亡、2人が重傷を負った悲惨な事件だが、無差別に襲われた被害者に同情の声が寄せられている一方で、加害者には激しい非難の声が出ている。

その中で、加害者が事件を起こしてしまった背景に、家族から見放されていたこと、他人のように扱われていたことで、精神的に病んでしまい、今回のような事件が起こってしまったのではないかと加害者を少し同情するような声も聞こえる。

加害者を非難する側の人間が、すぐ「甘え」だの「勝手に1人で死んでろよ!」とまあ酷いことを言っているのを見ると、こういう世間一般の声が、社会に適合できず苦しんでいる人をより苦しめていると思うと、加害者に対しても気の毒だと思うようになりました。

しかし、こういう気持ちって、世間で同じくあまり良い扱いをされていないヤンキーDQNに対しては沸いてくるのだろうか?

ヤンキーDQNには嫌悪感しか抱かない。

彼らもよく、親から見放されたり、ロクな扱いをされないために、生まれてしまった存在のように扱われているのを目にしているので、一見同情の余地があるかのように思えるが、私はこのヤンキーDQNに対しては嫌悪感しか抱かない。

それはなぜかというと、やっぱり自分が被害者だからかな?

ヤンキーDQNと私がバトっていた頃

小学校時代、私はこのヤンキーDQNどもとバトっていた時期がありました。

例えば、体育の時間、足幅跳びをやっていたときにDQNの1人がスタート地点に体操服の上着を置きっぱなしにしてたんですね。それを友人が踏んでしまいまして、それを目撃した持ち主のDQNが「お前、何俺の上着踏んどるんじゃあ!!!謝れ!!」とか怒鳴り散らすもんだから、隣にいた私はそれを聞いてイラっとしたので、「そんなもん、そんなとこに上着置いているのが悪いんやろ!!」と友人の代わりに言い返したんですね。

そこから、目の敵にされるようになって、トイレ掃除のときに水をかけられたり、「おい、鼻くそ。」と変なあだ名で呼ばれたり、色々と嫌がらせを受けたわけである。

このDQNどもの親もロクでもない感じで、親との仲がうまくいっていないというような話を聞いたことがありましたが、そんなもんどうでも良く、自分にしてきた仕打ちは許せなかったですね。

自分が被害者なら加害者に対しては嫌悪感しか抱かない。

そう、何が言いたいのかというと、自分が被害者の立場になってしまうと、加害者の事件を犯してしまった背景に辛い事情があったとしても、その加害者によって、自分は辛い目に遭わされるのなら、加害者に対して嫌悪感しか抱かないだろうなあ。

ということで、今回の新幹線殺傷事件の犠牲者の遺族にとったら、加害者は憎しみでしか無いんやろうなあと思う。

とはいっても加害者に対して、「甘やかされて育った。」とか「自分が死ねば良かったじゃん」とか言うのは筋違いであり、周りは加害者が事件を起こしてしまった背景を理解し、社会不適合者を追い詰めるような、逃げ場をなくすような仕打ちは自分たちはしないこと、そして相手に思いやりを持つように気をつけてほしいものだ。まあ反面教師にしてくれって感じかな。