ヘタレな無職の日記

仕事ができず窓際に追いやられた無能リーマンが節約と投資、副業で資産形成し、31歳で退職しました。これからは少しの小遣い稼ぎ(Uberとか)と家庭菜園、資産切り崩しで生きていきます。

理系コンプレックス

Twitterで、クリスマスひとりぼっちの理系が集まって、千マス積分というゲームをやっているというツイートを見た。

ルールはよく分からんが、縦軸に積分する関数、横軸に∫(インテグラル)が記入されており、積分区間も設けられていたので、定積分を計算して、制限時間以内にマスに値を入力していくゲームだろうか。

ま、理系ってこういう専門科目を利用したゲームやらなんやら好きだなぁと思いながら眺めていた。

でも、こういうの見ると、思い出してしまうんだ。

せっかく理系の大学に進んだのに、大学で学んだ専門科目を活かすことなく、会社で仕事を干され、メンタルを病みたくないばかりに社内ニートに甘んじ、飼殺しにされている今の状況を思い出して、俺何やってんだろという気持を。

高校の時から、文系と理系に属性を分けられ、私は国語が苦手という理由で、理系を選択した。しかし、結果として理系としての役割を全うすることなく、このような形になってしまった。

比較的コミュ障が多く、居心地が良さげな理系だが、頭脳が足りてないのと社会に適合できないというだけで、理系という属性の中で疎外感を感じ、居場所が無くなる時の絶望感っていうかね。今は絶望してないけど、大学の同じ工学部の友人と集まったりする機会があるとき、普通に会話していて、疎外されてないんだけど、ちょっとした疎外感を感じるよね。

これは文系の人が社内ニートに落ちこぼれるより、個人的には理系から社内ニートに落ちこぼれるほうが、ギャップが大きいし、その分ダメージも大きいことからくるものだろうか。

理系のほうが大学時代、必死に勉強させられ、研究もやらされて、論理的な思考力も身につけやすい環境にいたのに、自分はその環境に身を置きながら、何のスキルも身につけられることができなかったと思い知らされる時のダメージの大きさですよ。

そういうのもあって、疎外感というものがより大きくなっていると感じる。みんなはちゃんとできるのにっていうか。

国語力がないのと、コミュ障ゆえに文系は選択せず、数学が少し得意というだけで理系へ進み、将来はエンジニアになろうと、工学部へ進んだ。

まぁ、工学部のほうが就職に有利というのが、理系に進んだ理由が大きかったが。

でも、実際はこのザマだ。笑うしかない。

まぁ、どこか文系にはない、理系の変なプライドもあったよな。文系からは根暗が集うださい集団みたいに扱われてたけど、理系には優れた論理性と知性がある。

それに属しているだけで、自分もそういう知的な人間になっている気分になれた。そう、気分になっていただけだ。

それが今このザマで、そのギャップに苦しめられているという感じかな。

くだらない。実にくだらないよなあ。

コミュニケーション能力が優れたトークがうまい文系にもなれず、数学、物理という高度な専門性を活かした知的な理系にもなれず、こんな社会の落ちこぼれになってしまった。(文系と理系のくくりはあくまで自分の偏見です。)

どちらにも属せず、何か悲しい気持ちになる。

「機械だの電気だの、あんなの好きじゃないとできないわな。好きじゃないと勉強も続かないだろう。」なんて言われてたりしますが、みんながみんな機械いじりが好きではないだろうけど、周りの技術職に就いた同期は、何とか仕事をこなして、周りについていけてるんだよな。

それ見ると、やはり自分の理系的な素養が無さすぎて(コミュ力、メンタルの強さもそうですが)、なのに理系に属してしまっている自分に対し、余計に劣等感が大きくなり、理系に対するコンプレックスというのかな?そういうのが酷くなる。

まぁ、ぶっちゃけ今はそこまで気にしてないけど、たまにこの理系コンプレックスが私を襲います。

理系になりきれなかった男のやるせなさというか、こんなんだったら理系に進むんじゃなかったというか。

複雑な気持ちですなぁ。