「ザ・ロード」という映画を見た。
災害で荒廃した世界で、親子2人が食料が不足している世界で、人食い人間に襲われつつも、絶望しかないような終末世界で生きていくっていう話。
似たような設定のアニメで「少女終末旅行」っていうのがあるけど、あれは何かノリが軽めだけど、こっちは本当に絶望しかない。
ま、少女終末旅行と比べるものでも無いような気がするが、設定は似ているので。
話は戻しますが、この映画、始めから終わりまで、ほぼ終末の世界しか描かれてないんだよね。
ラストは少し希望のあるラストになってましたが、これからも荒廃した世界で、少ない食料を探し、人食いの襲撃の恐怖に怯えながら生きていかないといけないことには変わりはないのです。
そんな世界の中でも、親子が守っている絶対的な信念というものが描かれている。
映画の中で父親が何度か息子に言うセリフがある。
「俺たちは心に宿る“火”を運んでいるのだ」
人は状況によってその火を失い、生きる意味を忘れてしまう。
劇中では、食糧不足で飢えをしのぐために、人間を狩る人間が出てくる。
この映画の世界では、恐らくどんなに世界が荒廃し、秩序が守られず、さらには食料が足りなくて辛い状況にあっても、それでも生きた人間を殺して食べるようなことは親子は絶対にしません。
生きた人間を殺して食べることが、彼らにとって「火を失う」ことになるのだろう。
私はこれを見て、思ったことがある。
例えば、私はブログをやっていて、ブログにはアドセンスの広告を貼っており、僅かながら収入がある。
しかし、ほんの僅かであり、もっとアクセス数を集めて、もっとブログ収入を集めたいとは思っている。
しかし、ここでやってはいけないことがある。
情報弱者を食い物にして、読者に何らメリットの無いものを宣伝し、自分は大きく稼いでいるアフィリエイターと言われている人達。
中には脱何とかサロンとか開いて、たったの3日の講習で何十万もサロン生から搾取したり、「善意を裏切れないような空気感をつくること!!」とか言って、サロン生から会費を1万円近く毎月徴収しておきながら、そのサロン生に会社から依頼されたサロンの仕事を無償でやらせているブロガーがいたり・・。
彼らは情報弱者を食い物にし、はたまた人生も狂わせていながら、自分たちは甘い汁を吸えればそれで良いという態度だ。
こういう方たちを見ていると、「火」を失っていると感じるなあ。
例え法律で規制されていないとしても、人間としての良心っていうのかねえ。それを失ってはいけないんだよ。他人の人生を狂わせるようなこととかさあ。
映画では親子の日常を描くことで、崩壊した文明の中で彼らがどう生きていくべきかを描かれている。
何か宗教的な感じに聞こえるかもだけど、この場合は信念を持って生きろってことかなあ。理屈じゃないんだよ信念だよみたいな。これだけは絶対にしてはいけないとかさ。
私の場合は情報弱者を食い物にしたアフィカスにならないとか、とにかく他人の人生に悪い影響を与える人間になりたくないとは思っているわけです。
自分に宿る心の火は、死ぬまで運んでいかなきゃならんですな。
ちなみにこの映画、絶望感のある思い映画ですが、ラストがグッと来たのと、泣けるのでお薦めです。
ま、少し希望のある終わり方のラストでしたが、これからも生きていく世界は終末世界であることに変わりはない。絶望的な日常に終わりが来ることは無いって感じだ。
もし、セミリタイアして寂しいと感じ、元に戻ることができずに虚無感を感じながら生きている人間は、この映画の結末を見ると、来るものがあるかもしれない。
変わらない日常がこれからも待ち受けるのだから、寂しさも受け入れて、どう生きていくか、自分と向き合って考えさせられるんじゃないかと思う。
結構色々と考えさせられた映画だった。