ヘタレな無職の日記

仕事ができず窓際に追いやられた無能リーマンが節約と投資、副業で資産形成し、31歳で退職しました。これからは少しの小遣い稼ぎ(Uberとか)と家庭菜園、資産切り崩しで生きていきます。

ギャグが滑ったって良いじゃない!!

自分のブログの過去記事とか見てると、たまに寒いギャグをかましていて、我ながらとても恥ずかしい気持ちになり、マイルームで「おぅ!」とか奇声あげて死にそうになるときがある。

痛々しくてね。

でも、よく考えてみると、何で痛々しいという気持ちを持たなければならないのかと感じた。

私は読者を少しでも楽しめるようにするために、ウケを狙ってギャグを書いてるだけだ。

そこに明らかに悪意はないのだ。

では、なぜ、痛々しいという気持ちを持ってしまうのか?

恐らくそれは昔から、学生時代から面白いことが言えない人間はバカにされ、迫害される文化がこの日本では根付いているからかもしれない。

面白いことが言えない人間は「あいつ、つまんないよね。」と笑われたり、逆に面白いことを言おうとして、滑るとゴミのように見られます。

私も中学時代の周りの評価は、「たまに面白いこと言う人」でした。

これは逆に言うと、ほとんど面白いことが言えない人間です。

そう、頻繁に面白いことを言えないと、スクールカーストの中では下位扱いされ、そしてなぜか下に見られるようになる。

ク○みたいな世界でしたね。

この状態は大人になった今も続いており、面白い冗談を言える人は会社内でもすぐに打ち解けられ、うまいこと人付き合いをこなしていく。

逆に面白くない人間は人付き合いがうまくいかず、頼みごとをしても、ちゃんと取り合ってもらえなかったりと組織の中では扱いは冷遇されやすい。

ウケを狙って、渾身のボケをかましたとしても、ウケなければ、ドン引きされ、さらに冷遇されるように思う。

この世の中には面白くない人間差別があるように思う。

だからギャグが滑った人間を見ると痛々しいと感じてしまうのかねぇ。

でもこっちは懸命にウケを狙って人を楽しませようと頑張ってるんだから、滑ったら痛々しいじゃなくて、暖かい目で「うんうん、滑ったね。」と思いながら見守ってほしいよね。

ということでこれからも冗談を言うことを意識し、積極的にギャグをかましていこう!

どんだけギャグをかましまくって、滑りまくろうが、必ず1つは当たるときがくるだろう。

そう、数打ちゃ当たるのだ。どんどんギャグをかまして玉砕していこう!

って、この記事も滑ってるかも…