ヘタレな無職の日記

仕事ができず窓際に追いやられた無能リーマンが節約と投資、副業で資産形成し、31歳で退職しました。これからは少しの小遣い稼ぎ(Uberとか)と家庭菜園、資産切り崩しで生きていきます。

なぜセミリタイア者が自分より下の弱者を叩くのか

以前セミリタイア者が自己責任論を振りかざし、弱者叩きしていることに対する愚痴と、仕事ができない者は精神疾患のリスクをおかしてでも働く必要は無く、生活保護で一生暮らしても良いんじゃないか?というような主張をさせていただきました。

https://nbombombonds.com/2020/11/19/post-4717/

すると、何か結構反響があったようで。色々反論されてしまいました。

中には相互フォローさせていただいてるブロガーさんがこんなことを書いていました。

ご自身で書かれているように、生活保護は自立支援のための制度でもあります。 これは生活保護法を読めばわかります。 そこでは、
  • 困窮するすべての国民の最低限度の生活を保障するとともにその自立を助長することを目的としていること
  • その困窮者は自己の資産や能力その他あらゆるものを最低限度の生活維持のために活用すること
が基本原理として書かれています。 困窮者の多くの方は法律に書かれたとおりなのでしょうが、一部に自立する能力があるのにそれを活用せず支援は受けたいと思っている不心得者がいるのは事実。 セミリタイア者はそのことについて批判するなと?

「一部に自立する能力があるのにそれを活用せず支援は受けたいと思っている不心得者がいるのは事実。セミリタイア者はそのことについて批判するなと?」という部分を見て、まずなぜセミリタイア者が自分より下の弱者(このブロガーさんが言う不心得者含め)を叩くのかについて気になりました。

今回は、佐藤直樹さん著の「加害者家族バッシング」に出てくる「世間学」を参考に、なぜセミリタイア者が弱者を叩くのかについて、いっちょまえに考察してみたいと思います。

法的に何ら問題ない

健常者でも、仕事ができない、どんな仕事も苦痛でできないという人は、精神疾患のリスクを抱えるくらいなら、親の脛を齧ってニートするか、生活保護を受給するとか何でもすれば良い。

以前の記事でこう主張しました。

これらは法的には何ら問題は無いわけですよ。ただしテクニックが必要になるみたいですが

親の脛を齧ってニートすることはともかくとして、生活保護受給も自立支援を目的とした制度であると生活保護法でも規定されてますが、実際は抜け穴があって、用件を満たせば生活保護を受け続けられるみたいです。

例えば、生活保護受給後はケースワーカー以外で就労支援員との面談があるそうで、就活して自立の意志があるのかどうか強烈な就労指導をされるらしいです。この人達の就労指導を乗り切るには臨床心理士のいる精神病院で、心理テストや知能検査をやり、発達障害などの精神障害を診断してもらって、健常者でも障害手帳をゲットすれば、後は行くかどうかは別にして作業所に籍を置けば、障害者の訓練をしているということで法的案件は満たされると

また障害手帳をゲットできず、健常者と診断された場合も、週に1回ハローワークに行って、「定期的にハロワに通っているが仕事が見つからない」あるいは「見つけても続かない」と主張して一応、自立の意志を見せる。そうすれば、それ以上のことは言えない。

こちらの動画を参考にしました↓

https://www.youtube.com/watch?v=Glmckof51_0

ま、法の抜け穴っていうんですかね。

しかし、法の抜け穴を利用してるとはいえ、法的には問題無いことには変わりないわけです。

私含めセミリタイア者も法の抜け穴利用して、生活してますよね。

例えば、収入は基礎控除額以内に抑えて、非課税だったりとか、失業保険満額貰うためにハロワに通って、就活してるふりしたりとか?

私なんかは出社さえすれば法律で雇用が守られ、解雇されないことを良いことに、仕事もネットサーフィンしたり、トイレに籠ったりして、結構さぼったりしてますしね。

この点は不思議なことに他のセミリタイア者はあまり私に文句言ってこないんですけども。

 

法的に問題無い行為をしても、なぜ叩かれるのか?

本で読んだのですが、それは日本の「世間」という世界では、法律は「タテマエ」でしかないからだと思います。

日本には日本特有の「世間のルール」というものが存在するわけですね。

日本の「世間」という世界は「法律」と「世間のルール」という二重構造で縛られているわけです。

が、しかし、日本の「世間」では、「法律」は「タテマエ」でしかないので、「法律」よりも「世間のルール」が優先されてしまいます。(ま、これのおかげで日本は世界でも最も治安が良いともいえる。)

例えば、殺人を犯した加害者の家族は身内として責任取れという風潮がありますよね。育てた親の責任!!とかそういうのがあるじゃないですか。

そうやって加害者の家族はバッシングされ、誹謗中傷され、家を放火されることもあったらしいです。

放火なんて立派な犯罪ですが、そこには「犯罪者の家族には何しても良い」という考え、世間のルールを破ったものは何をされても文句は言えないという考えがあるからですね。

海外ではこういうことはあり得ないらしいんですがね。

 

セミリタイア者はなぜ自分より下の弱者を叩く?

世間のルールには「共通の時間意識」というものがあります。

「共通の時間意識」については「加害者家族バッシング」という本には以下のことが書かれてある。

 

端的に言えば「出る杭は打たれる」ということであり、「世間」では「みんな同じ時間を生きている。」という意識を共有しているということだ。 <中略> 「世間」のウチは「みんな同じ」という同質性の世界で一色になるために、それからソトへと排除される異質な者が出てくることで、「世間」のウチとソトには厳格な区別ができる。 「世間」のウチに所属する人間は「身内」と呼ばれ、大事にされ援助を受けることができる。ところが「世間」のソトの人間は「あかの他人」とか、文字通り「外人」と呼ばれて排除され、かりに援助を求めても無視される。 <中略> 「世間」には「共通の時間意識」があるために、個人が存在せず、そのため自他の区別がつかなくなる。「自分は自分。他人は他人」とは思えなくなるのだ。

この場合、本記事の仕事が無い、貯金が無い生活困窮者というのは世間の「共通の時間意識」の「ソト」

例えば「働かざる者食うべからず」や「納税の義務を果たすべき」「男は手に職を持つべき」などといったルールを破っているとして、「ソト」と扱われる。「異質なもの」はみんなと「同じ」とはみなされないために、「世間」から差別され、ソトとして排除されることになる。

 

 

ところで「納税の義務を果たしていない」や「男は手に職を持つべき」についてはセミリタイア者にも当てはまってしまうわけですが、なぜセミリタイア者は同じ穴の狢とも言えるこの健常者の生活困窮者や自立する気のない生活保護受給者をを叩くのか?

この生活困窮者とセミリタイア者の明確な違いって、1つは「貯金があるかないか?」ですね。

セミリタイア者は今まで労働と節約を必死に頑張り、貯金を貯めて目標を達成した時、やっとこさセミリタイアして賃金奴隷から解放できたという自負があるわけです。

そしてセミリタイア者も基本的には一般の世間の「共通の時間意識」の「ソト」に分類され、よく叩かれてます(「男は手に職を持つべき」などのルールを守っていないとか)が、「男は手に職を持つべき」とか「納税の義務を果たしていないクズ!!」なんて言われても、堂々としていますね。

なぜセミリタイア者は「男は手に職を持つべき」とか色々な「世間のルール」を破っているのに平気な堂々とした顔をしているのか。

それは、セミリタイア界隈ではセミリタイア界隈で、独自の世間のルールが形成されたからではと考えます。

セミリタイアラーは節約、労働を頑張って、資産形成し、資産を切り崩しながら生活していて、誰にも迷惑かけずに生活しているわけですよね。自助できてるわけです。

つまり身体障害などの不可抗力要素は除き、自助できる者だけが労働から解放されて良いのだというルールがセミリタイアクラスタ界隈で形成されてしまったからでははないかと。

セミリタイア界隈特有の「世間」がセミリタイア界隈の「時間の共通意識」の中で、厳格な「ウチ」と「ソト」を形成してしまっていると考えられます。

だから、(できない理由があっても)貯金もしないで、自助努力をしない人間がタダで金を貰うということが、セミリタイア界隈独自の「世間のルール」を破っていることになり、セミリタイア界隈はそいつを「ソト」の人間として「甘えるな!」「自助しろ!」と叩くんじゃないかなあと思います。

本人の事情とか何も考えず。

これで私が仕事できないのに会社しがみついてることに関し、他のセミリタイア者があまり私に文句言わない理由も見えてくる気がします。私は会社の給料で貯めた資産で生活しようとしている、つまり自助をしっかりやろうとしてる(風に見える)から叩かれないのです。(裏ではボロカス言われてるかもしれないけど・・。)

 

 

それと「加害者家族バッシング」という書籍にこんなことが書かれてありました。

「世間」には「共通の時間意識」に由来する「人間平等主義」があるために、ちょっとでも自分よりいい生活をしている人間をみると、「なんであいつだけが」となる。すなわち、じとじととした「ねたみ、そねみ、ひがみ、やっかみ」の意識がある。

 

貯金もしようとしないで、努力もせずに生活保護を受けて、楽して暮らそう!!そういう輩を苦労したセミリタイア者は嫉妬しているとも言えそうですね。

さて大した考察ではないですが、長くなったので、今回はここで終わりにします。

次回は今回の記事の観点を踏まえながら、私の思うことをさらに書いていきたいと思います。

では。