ヘタレな無職の日記

仕事ができず窓際に追いやられた無能リーマンが節約と投資、副業で資産形成し、31歳で退職しました。これからは少しの小遣い稼ぎ(Uberとか)と家庭菜園、資産切り崩しで生きていきます。

我が社のダメリ(真面目なN村さん)

ついに始めてみようと思います。

これは我が社にいる私以外のダメリーマンを焦点に置いた記事です。我が社にはどんなダメリがいたのか紹介していきたいと思います。

真面目なN村さん。

私が入社して最初に配属された部署にN村さんという方がいました。

40代後半くらいで体形は細め、見た目は非常に温厚そうなおじさんでした。

ただ人とのコミュニケーションが下手なのか、打合せ中や、他部署の人と話をするときは、しょっちゅう相手を怒らせていましたね。

一度私とも仕事で接したことあるのですが、私に仕事を依頼するときのお願いの仕方が「ボンさん、この仕事この日までにできる?じゃないと私苦手なあの上司から怒られちゃう」と自分の都合を優先したいような頼み方だったので、こういうところが相手を怒らせてしまう要因だったのかなあと思います。ま、私と似たような感じですね。

でもこのN村さん、性格は優しい方で、真面目な人でした。どんだけ怒られても、意外と物怖じせず、メンタルも強い方だったので私は尊敬していました。

 N村さんがやらかした失敗

このN村さんですが、ある時、仕事で重大なミスをしてしまいます。それは発注ミスでした。

それは1つや2つという規模ではなく、何十万もする商品を何百個も誤発注してしまうというミスでした。なぜそうなったのかは分かりませんが、これはいろんな部署を巻き込んで大問題となり、どの部署もその対応で大変なことになりましたね。

N村さんがミスの原因を追求され、それに対し、何を言ったか忘れてしまいましたが、見苦しい言い訳もしてしまったため、ますます大炎上でした。

毎日のように罵倒されるN村さん

大規模な誤発注をしてしまった中村さんは、このときは周りからの風当たりがかなり強かったですね。

N村さんも自分のミスの後始末に追われ、大変そうでした。後始末の報告を当時の私の鬼上司でもあった上司にする時なんかはこれでもかという罵倒を受けていました。

「ああ!?なんだお前」「お前バカか!?」「ちゃんとやれよ!!やれ!!」などと鬼上司から罵られている様子を目の当たりにし、当時の私は身震いしたのを覚えてます。

他にもパートの女性の方からきつい言い方で対応されたり、役員からきつく説教されたりと見ているこっちも精神的ダメージを受けてしまいました。

周りもN村さんをバカにして、「あの〇村さんが」とか言ってネタにしたりしてる様子も見ていたので、N村さんが不憫でしたね。いくら大変なミスをしたからといって、ここまで嫌な思いをしなきゃいけないのかと。

翌年、N村さんは今まで任されていた仕事をすべて外されてしまいました。これに対し、N村さんはショックを受けている様子でした。

重大な仕事を引き受けて、失敗したら血祭にあげられる

私の会社は、「何事もチャレンジ。失敗を恐れるな」とよく言ってきます。

しかし、N村さんが重大な仕事を引き受けて、失敗し見事に血祭にあげられました。

何が「失敗を恐れるな」だろうか。重大な業務に挑戦して失敗した結果がこれかよと。

SNSで「失敗を恐れるなとかいう人間は、一度の失敗で多くを失うリスクを負う苦しみを知らない」なんて呟かれていましたが、まさにその通りだ。

仕事で挑戦することの何が嫌かって、成果出ずに、責任問われたり、N村さんのように詰められたりするのが一番嫌なのである。

N村さんは割と真面目にやっててこれでしたからね。

N村さんがされた仕打ちを見て、ますます仕事でチャレンジすることが嫌になりましたね。

N村さんは今

N村さんは今でも同じ部署で違う業務を担当しています。私のように窓際に飛ばされることなく頑張っているようです。

本当、よく頑張れるなあと思います。メンタルは強かったので、そのおかげで何とかなってるんでしょうか。