赤血球が体細胞の母体であるという説を提唱した生物学者、千島喜久男という方がいたらしい。
この千島さんが提唱した説を総称して千島学説と呼んでいるようだ。
さて、この千島学説によると血液は骨髄ではなく、小腸の絨毛で造られているらしい。
またアトピーの人に玄米と無農薬野菜と天然塩を使った食事指導を行うと、3か月後に消えたそうだ。
アトピーが治ったのは食事を変え、塩を変え、腸で綺麗な血液を造ったからだそうで。
生物学者千島喜久男さんの新説には例えば、血液は肉体である細胞に変わるというものがある。
バクテリアを親無しで生ませたり、細胞から赤血球に再び戻るという。
人間は生まれ、成長し、そして老化すると再び幼児に戻る傾向がある。
そしてこれは人間だけではない。生物やさらに広く自然界にもこのような繰り返しと一種の矛盾と回帰があるとしている。
これは何か大自然の大きな法則のあらわれかもしれないと千島さんは思ったわけだ。
今回この千島さんの学説を、「生命の自覚 ~よみがえる千島学説~ 」をもとにまとめていきたいと思う。この本の内容を忘れないためにも
(注)この記事の内容、真意は正直分からないので、私は保留してます。
なので、もし読んでる人がいたら、真に受けないで、保留でお願いします!!
赤血球が肉体を作る
細胞は分裂によって増えるのではない。
体の中を流れる赤血球が日々細胞に変化し、この肉体を形作っていく。
千島は鶏の卵の黄身が赤血球に変化し、その赤血球が生殖細胞に変化している様子を発見したそうだ。
赤血球がタコの足状に細胞質を放出し、その細胞質がお互い仲間を探し求めあっている。やがてそれらが溶け合い、集団化して、その集団は次第に細胞核を持つ1個の単細胞になった。
現代科学は学問が細分化され、その結果血液学と細胞学が矛盾し、つじつまが合わない
例えば脳細胞は分裂しないが、なのに大人のほうが赤ちゃんより細胞数が多い。大きさも赤ちゃんより小さい。
生命とは時々刻々と変化しているから生命。すべてのものは変わる。
その大原則を無視し、生物は1つの機械だと答える。
これが間違いなのは心の動きが全く考慮されていないことだ。
血液は骨髄で造られるというのが、現代医学の常識になっている。
実際に鶏を絶食させ、骨髄に造血作用があることを確認している。
しかし、どうして絶食を長いことさせた状態で行ったのか?健康体にも適用して大丈夫なのか
鶏たちを材料に、栄養状態の良い時と、絶食させたときを比較し、様々な実験を行ったところ・・、
食べ物の消化物が腸の絨毛に付着し、それが腸粘膜に吸収される過程で、アメーバに近い姿に移行し、赤血球に成熟し、それが血管に流れ込むのを確認したそうだ。
腸の絨毛は植物の根のような役割をしている。
また、骨髄は健康だと脂肪が充満していて造血できない。
健康な時ほど血液は多く作られないといけない。
そこで飢餓では血液が補給できないから、細胞が血液に逆戻りしているという。
健康で栄養状態の良い時は赤血球はすべて細胞に変化。
断食や節食や大量の出血後、あるいは病気の時、すべての組織細胞は赤血球に逆戻りする。
負傷が回復するのも、赤血球が細胞に変化するため
そして、病気のほうに向かってる時は、赤血球はガン細胞や炎症細胞に変化する。
毛細血管の先端は開いていて、赤血球は組織と組織の間に入り込む
生命の本体は血液なのだ!!
気血動の調和
健康的に生きるには精神、血、運動 精神の安定、正しい食生活、適度な運動が重要になる。 これはすべて血液に関連している。
食事の時は菜食、小食、よく噛んで食べることが大切である。
輸血は危険
千島は輸血に対して危険性を訴えている。輸血として血液の代わりに代用液の利用を主張していたそうだ。
輸血の代わりにリンゲル氏液や、生理用食塩水、その他の代用液で賄っているアメリカの病院があった。
一時的に血液の容積を補充すれば、それで患者は自然に回復するという。
またそのほうが死亡率も低いらしい
出血による赤血球の激減や、ヘモグロビン濃度の著しい低下も声明を脅かすものではなく、また生命の永続的な障害をもたらすものではない。代用液のほうが血漿や血液そのものの輸血により実際に有効である。
野生の動物は、ケガや病気の時には食を断ち、木陰で静かに横たえて回復を待つ。
人間は病気でも無理に食事を取る。食欲が出ないのは免疫機能が正常に働いており、食事を取らないように促しているのだ。
そして食事をした場合でも嘔吐で防御反応が出るからまだ良いが、輸血は違う。輸血は生体に反応が無い
千島学説は血管内に注入された血液、特に赤血球は病巣の部分に集まり病的になっている組織をますます拡大し悪化させるといっている。
また輸血直後に起こる副作用として溶血反応がある
不適合な輸血を受けたため、血液の中に抗体ができて外から入ってきた赤血球を破壊し、それを溶かそうとする反応だ。
症状としては頭痛や胸や背中の痛み、腎臓の機能の衰え、そして毒素の排出ができなくなる。
血は指紋と同じで、内容は人それぞれ異なる。したがって溶血反応は無くならない。
肝炎ウイルスは輸血そのものが原因
新鮮な血液であっても、異種タンパク質が含まれているため、程度の差はあれ、受血者の体は拒絶反応を示す。
輸血を必要とする不健康な体内では肝臓は充血し、その滞った血液が肝細胞に変化してますます肝臓は肥大化。細胞の活力が弱まって、そこにウイルスが自然発生する。
千島は血清代用液の開発が必要と主張
血液を失っても血液の容積を代用液で補充しておけばよい。
体に必要な脂肪やその他の成分は、細胞が赤血球に逆戻りして補われる。
菌やウイルスは自然発生する。
赤ちゃんの腸内細菌発生の謎
赤ちゃんが産まれた時、その腸の中は無菌である。生後2、3日たつとビフィズス菌という乳酸菌が繁殖する。この菌はどこからきたのか?
母乳や粉ミルクを母体にして、ビフィズス菌が赤ちゃんの腸の中で自然発生したのでは?
パスツールの自然発生否定説があるので、かたくなに自然発生を否定されているが・・。
食べ物から赤血球が誕生するのだから、バクテリアもバクテリアでないものから発生するのでは?
千島は1958年にカエルの血液を腐敗させて、そこにバクテリアを自然発生させる実験観察に成功した。
科学技術庁の顧問だった斉藤憲三氏は蒸した米に木灰をふりかけたところ、そこからバクテリアの一種である麹菌が自然発生することを発見している
地球上の最初の生物はどうして発生したか
人間のような高等生物がどのようにして生まれたのか?
それはアメーバのような微生物が進化を重ねて現在の人間のような高等生物になったと言われている。
ではそのアメーバはどのようにして発生したのか??
太古の地球は生物が生産したり、生物に関係する有機化合物は全くない。
なので地球上の無機化合物から有機化合物が合成されなければならない。
原始の大気は自然のエネルギーで活性化され、反応し、アミノ酸のような簡単な有機化合物へと進化した。
有機化合物が当時の雨に溶かされ、原始の海水中でタンパク質分子がぶつかりあい、コアセルヴェートと呼ばれる生命体の一歩手前の物質になったと考えられる。
これが海水中の有機物分子を取り入れ、成長、同化、異化の能力を持つ。
そして、もっとも簡単な生命体に進化したとオパーリンという学者が唱える。
このオパーリンの発見はパスツールによって否定された生命の自然発生をよみがえらせる。
ただ自然発生はただこの一度だけだとオパーリンは主張した。
自律神経の刺激で伝染病が起こる
レーリィ現象というものがある。
自律神経を過剰に刺激すると、病原菌が外から入ってくるのではなく、自然に発生して病気になるという新説を打ち出した
肺や胃腸に分布している自律神経にピンセットで刺激を与えたり、最近の毒素を塗り付けると・・。
神経の支配を受けている肺や腸などに病気の症状が起こる。肺には結核のあわつぶ、腸には腸チフス、赤痢などの症状が起こった
東洋医学は精神を重視している。
これは細菌の自然発生説を支える重要な実験になった。
がんは自然治癒力で治る
がん細胞は血球からできる
体が病気の時は病気の細胞を作る。
この考えを基に治療をする加藤清氏のような治療師が各地に散在している。
細胞は分裂によって増殖。がん細胞は分裂がすみやか。これが現代医学の常識
千島は細胞は分裂によって増殖するのではない。分裂もありうるが、細胞はあくまでも赤血球が変化して増える。がん細胞でも同じだと言った。
また炎症も、赤血球がからだのその部分に集まって変化して生じたものである。
そもそも細胞とは?
細胞質は、たんぱく質、脂肪、水分などから成り立っていて、外から栄養を受け取ることができるし、不必要なものを排泄することができる。
呼吸もするし、成長もできるし、子孫も作れる。
人間を含めた哺乳類の赤血球には核が無い。
ウイルスは核だけで細胞質のようなものはない
一般には生物とは細胞の条件をすべて満たしたものと考えられている。
それ以上のものは細胞、それ以下のものは細胞ではないと勝手に決めている
しかし生命はもっと深いつながりを持って連続している。
千島は人間が決めた境界領域に視点を求め、新しい細胞の考え方を提案した。
科学者ははっきりしたものを好み、曖昧なものを嫌う傾向にある。
自然の真実は境界がはっきりしない連続性の中にこそある。
自然のままで細胞分裂が見えるのか?
写真やテレビで細胞分裂を見ている。
これに関して千島は・・。
「細胞を研究する場合、生きた体の中の自然な状態で、その細胞の動きを観察するのが理想。しかし、今日まで色々な細胞学の成果は組織から切り出した標本、つまり死んだ細胞を研究したものがその中心となる。」
と言っていた。
全体とのつながりを切るという不自然を犯している。
光学顕微鏡や電子顕微鏡で不自然な強い光線や電子を当てている。細胞は光や電気に敏感である。
細胞の自然状態を乱さないで、細胞の微視的な世界を観測することはできない。
がんと食生活
精神の健康は血液を浄化し、そして流れをよくする。
怒りや恐怖で血液に毒素を持つ。
またマクガバンレポートによれば、がんおよび成人病の原因は90%以上食事である。
アメリカ人は動物性タンパク質と動物性脂肪を取りすぎている。加工食品の弊害もある。加工食品には植物繊維が無く、ミネラルとビタミンが不足している。アメリカ人は砂糖を取りすぎている。がんを含む成人病の原因は、現代のアメリカの食生活にある。
これも食べたものが血液となり、血液が細胞になるという千島学説に当てはめれば、簡単に解明できる。
自然に反した食生活ががんの遠因になるという因果関係はおさえられている。
がんの原因は精神の問題と食事の問題、加えて自分の体をどれだけ動かすという「気動血の不調和」から来ている。
体に無駄なものは1つも無く、すべての細胞がつながり、関わって一つの体になっている。
がんにおいても、体の全体を維持する装置が働いて、がん細胞があらわれてくる。
がん細胞もその時の体には必要なのだ。
病気の部分を体から切り取ってしまうのではなく、その部分を健康な状態に戻すべく努力すべきではないだろうか
治療自体ががん患者を殺しているのでは?
人類ががんの恐怖から逃れる道は、がん細胞との調和である。
医師はガン患者を殺している。
手術、放射線、抗がん剤というがんの治療の一般的なものである。
しかし、放射線の照射や抗がん剤の投与でがんが治るという考えを持っている医師は1人もいない。
延命措置も1週間で70万かかったりと負担が家族に大きい。病院も経営のために実施している。
がん細胞をよりよい方向へ導いてまともな細胞に戻す療法こそ新しい医学ではないか。
がん細胞も血球に戻るのだから。
がんは自然治癒力で治る
加藤清氏によると、20日間の断食に耐え、生還した箕浦登美代という女性がいた。
加藤清氏も20日間の水しか飲まない断食により結核痔瘻(肛門の周りが腐っていく病気)を直した
断食をすると血液が浄化され、膿が出なくなり、傷口などは内側から盛り上がってくる。と本に書いてあった
「自然には飛躍が無い。他の病気に治癒力が働くなら、がんにも働くはずだ。」
そして、この加藤清氏は粉ミルク断食と指圧整体法を組み合わせた加藤式健康法を編み出す。
殆どの人ががん細胞を持っている
40歳を過ぎれば殆どの人ががん細胞を持っている。そのがん細胞を病院の検査で発見され、現代医学の治療を受けた人達が死んでいる
がん細胞は食生活をはじめとする生活改善をすればそれ以上大きくならない。いや、それどころか小さくなっていく。がん細胞が消滅しないまでもがん細胞と共存して生きていくことができる。
病院で過酷な検査を受け、手術、抗がん剤投与、放射線を照射された患者は正常細胞を痛めている。その結果、腸の絨毛をやられた人は殆ど回復しない。
毎日新聞夕刊にこのような記事があった。
「高齢者の50%にがんが存在し、これらのがんの大きさは20ミリ程度に達するものもあり、早期がんクラス。微小がんを経た後大きくなったと考えられるが、このようながんを持った人達も生前はがんだという診断は下されなかったし、症状も全く出ていない。こうしたことから菅野博士は、ほとんどの人はなんらかのがんを体の中に持っている。臨床がんはそのうちのごく一部が顕在化したものと推定される。と結論づけた。」
血液の汚れと滞りが原因で、それを取り除けばたとえがん細胞があっても、人間は共存して生きて生活していける。
手術をしてもがん治療の解決策にはならない。
手術で切り取った部分は元に戻らない。自然に反する。
断食をすれば血液は綺麗になる。
加藤氏の断食の方法は食事を断ち、赤ちゃん用の粉ミルクを溶かして飲む。
赤ちゃんの粉ミルクは栄養のバランスが取れており、さらに粉ミルクにはラクチュロースという腸内のビフィズス菌を増やす乳糖が含まれている。
ビフィズス菌が腸内で優勢を保っている時は健康で、病気の時は他の菌におされ減少。
がんなどの病気は病院の治療によって腸内細菌が殺されているから、粉ミルクの補給が必要である。
整体指圧法も、全身の血液の流れを良くするとともに、がん細胞に滞っている赤血球を押し出すことによって循環を良くしようという方法である。
「血液は生命の基本であり、血液を綺麗にすることが健康を作り出すのである。断食をすれば体は若返り、がん細胞も赤血球に戻る」
というアルペルン教授の言葉がある。
がんの予防、健康法に応用する場合、短い断食を繰り返し、なしくずしに少食主義に持ち込めば良い。
がんに限らずほとんどの病は全身病だから、局所だけ治療するという現代医学の治療は間違いである。
病気の場合は腸内細菌のバランスが崩れ、腐敗菌が増える。断食をすると腸内の腐敗菌は消えるというメカニズムなのである。
断食をすると、肝臓の細胞が血球に逆戻りする。肝臓にたまっていた老廃物や有害な物質も肝臓を離れ、血液の中に入ったり、尿に混じって排出される。
食べ過ぎは腸内に消化物がたまり、その腐敗から汚れた血液がたくさん作られ、そしてそれががん細胞に変わっていったと考えられる。
動物性たんぱくの取り過ぎは特にそうである。
人間が老化を早める原因は腸内に滞った食物が腐って、それが細菌毒素を作り、そして血液中に吸収されるからだ。
例えばブルガリア地方に長寿が多い。彼らはヨーグルトを食べている。
ヨーグルトの中と人間の腸内の乳酸菌は種類が違う。腸内ではヨーグルトやその他の食べ物から自然に発生したものだと考えられる。
生物体は容易に原子を転換する
食品の発酵は、微生物が非常に低いエネルギーで原子転換する能力を持っているため、そのようなことができる。
今日の原子物理学では、原子力発電所とかで何十万ボルトという巨大なエネルギーを使うサイクトロン装置でなければ原子転換は不可能と考えられている。
しかし、生物の体を借りれば、数百万分の一のエネルギーで原子転換できるとケルブランは言う。
千島説は窒素分を含む赤血球とそれを含まない脂肪との転換であるから、赤血球が脂肪に変わる時は、窒素が消える過程があればよい。
N → C + O
栄養不良や断食のときは脂肪からヘモグロビンや窒素を含む赤血球に逆戻りするときには、炭素と酸素が結合して窒素になれば良い
C + O → N
この考えでは、草ばかり食べている動物が肉や卵や乳を毎日生産している謎も体の中の原子転換で説明できる。
菜食主義者はなぜ長生きなのか
野菜などに含まれる葉緑素クロロフィールと赤血球の色素ヘモグロビンとの関係について・・。
この2つは構造式が全くよく似ている。
葉緑素の構造の中心がマグネシウムであり、血液の色素のそれが鉄であるのが主な違いで、両方とも4つピローリングで結ばれており、構造は殆ど同じである。
千島は葉緑素クロロフィールが赤血球の色素ヘモグロビンに変わったのでは?と考えた
この場合、構造の中心のマグネシウムが鉄分に転換すればよい。
ケルブランはバクテリアの作用によって、ケイ素とリチウムの結びつきから鉄に転換することは
Si + 4Li → Fe
と考えた。
したがって、クロロフィールから赤いヘモグロビンへの原子転換については
Mg + H → Si
Si + 4Li → Fe
マグネシウムが水素と結合して、ケイ素となり、ケイ素とリチウムがさらに結合することで鉄に転換される。
これはあくまで千島の想像である。
菜食主義者が長寿の理由は、新鮮な野菜に含まれる質の良いビタミンC、その他いろいろなミネラルや新しい炭水化物ばかりでなく、クロロフィールがヘモグロビンに変わるという論理が付け加えられる。
牛や羊など草食動物がタンパク質の少ない草を主食として多量の乳汁を分泌させているし、筋肉を発育させている。
千島学説やケルブランの原子転換に解明の手段を得なければならない。
生命弁証法
エントロピーの法則というものがある。
熱は高い方から低い方へ流れ、高い方に流れないという法則である。
冷えたコップをもう一度熱い湯に戻すには、何か外からエネルギーを与えなければならない。この時の冷えた水をエントロピーが増したという。
熱い湯が持っていたエネルギーの消失を使用不可能なエネルギーが増したと考える。
石油を燃やせば電気エネルギーになり、このエネルギーで部屋を温めれば、その熱はやがて外気に散っていく。それを集めて元の石油には戻れない
使用が不可能になったエネルギーの量は増える一方だ。
このエントロピーの原則は絶対。しかし、生物は違う。
体の内部と外部との間で常にエネルギーの出入りが自由であるから、この法則の支配を受けない
死ねばこの法則の支配を受けると考え、エントロピーの法則を絶対的なものとしている
千島はエントロピーの法則は自然の姿の片面だけしか見ていない。自然界の一方だけを支配する死の法則だという。
自然界にはもうひとつ「生の法則」がある。生と死の両面の法則で物事を見なければ事実を見落としてしまう。
自然のあらゆるものを観察していると、地球も宇宙も閉ざされた世界ではなく、外部とエネルギーを交換している存在だと考えられる。宇宙は外に開かれたオープンシステムと考えたほうが自然である。
千島はこのように考え、「生命弁証法」を唱えた。
生命弁証法は、「すべてのものは繰り返す。」ということを原則にしている。時間さえ繰り返す。
生命弁証法ですべての現象は説明できる。
千島の生命弁証法の項目は以下である。
1、すべての事物は時間の経過と場所に応じて絶えず流転する。
2、すべての事物は矛盾対立を内包し、その葛藤が進歩や変化の原動力となる。
3、すべての事物は量の蓄積によって質的変化が起こる。
4、生命の発展や進化はAFD現象の過程による。
5、すべての事物には経過途中の中間点がある。
6、自然界は連続している。
7、すべての事象は繰り返しを原則としている。
8、自然界は共生で成り立っている。
9、生命の形態はアシンメトリーである。
10、生命現象は波動と螺旋運動としてとらえるべきである。
この生命弁証法に合致しない事実はない。
弁証法はすべてのものが変わるという、変化を中心にした考え方である。
1人の人間の一生を眺めてみても、その運命、そして考え方、体の内容などすべてが変わる。
自然現象だけでなく、政治、経済の仕組みや社会生活もどんどん変化している。
ところが現代の科学は物事を変化しないものとしてみている。白血球は白血球、赤血球は赤血球であり全く別の系統のものだとして区別する。
千島はすべては変わるという眼を持って研究に励んだ。そして、赤血球が核を持つ白血球に変わり、それがさらに細胞に変化することを発見した。
遺伝子も変化する
生物は長い年月にわたって代々、子が親に似るという遺伝と、環境などによる親の変異を子に伝えるという、この2つの要素を積み重ねて、少しずつ変化して、そして進化したものである。
白色人種、黄色人種、黒色人種などもそうである。
現代の遺伝学では細胞核のDNAという遺伝子によって、子供へ、そして孫へと伝えられるという。
しかし、その核も赤血球から造られるとしたら、そうした不変的な考えは間違っていることになる。
すべてのものは変化する。
不安定こそ生命の本質
人間の精神には矛盾対立した理性と感情がある。人間にはよこしまな心の欲望があり、それに対抗する良心がある。
健康な人はその矛盾を理解しているから、理性的に判断して正常な行動を取る。
これは理性と感情がうまく統一されている状態だが、犯罪者などは、この理性と感情が不統一であるため、とんでもないことを考え、罪を犯してしまう。
自然は原子という微小な部分から巨視的な地球に至るまで相反するもので成り立っている。
1個の細胞は酸性の細胞核とそれをとりまく微アルカリ性の細胞質から成り立っている。鶏の卵も同じ
生物におけるこの矛盾対立は、常に動的で、だいたいにおいて平衡状態にある。完全な平衡状態ではなく、そのとき、そのときによってどちらか一方が力を持つ。
生体が一定の平衡状態に達すると、その安定を嫌う力が働き、不安定な状態へ移り、常に動揺を続けようとする。ところがこの対立がなくなり、完全な平衡状態になると、これはすなわち生命の死を意味する。
「自然や生命はおよそ調和しているが、少し歪みを持っている。その歪みこそ生命や自然の真の波である。」
と千島は言う。
量の蓄積による質的変化
液体である水に熱を加え、セ氏100度にすると気体になる。
温度の量蓄積によって、水が質的変化を起こした。
単細胞のアメーバやバクテリアは構造や働きが単純で下等だが、その細胞が60兆個集まったものが人間である。
生命体は部分の単なる足し算以上のものを持っている。
だからは体は健康なときでも、病気のときでも、生命を維持しよう、正常に回復しようという方向に働く。
トカゲのしっぽもそうである
生命体が全体を維持しようと働くためである。生物は全体性を持ち、全体のために部分を規制する。
がん細胞が体に現われるのも、がん細胞が現れなければ、体は全体としてもっと悪い方向に働くからだ。
生命の発展や進化はAFD現象の過程による。
現代医学では、親から受けた遺伝は変わらないから、「生まれつきが大切である」という遺伝学を唱えている。獲得遺伝性の否定である。
生まれつきより生まれた後の環境のほうが大切である。
千島は、人間や生物のかたちの性質は、常に変化してやまないものだから、生まれた後も遺伝質はその条件しだいでよくも悪くもなるとして、獲得性遺伝を肯定している。
生物の体を構成している細胞の原形質は、一種の記憶を持っていて、一度経験したことを繰り返そうとする性質がある。習慣という言葉で、私たちが日常生活で多く経験していることである。
生物の発生で繰り返し起こっているこの習慣性を千島は「原形質の履歴反復性」という難しい用語を使って説明している。
そして、その「部分」に含まれている要素が集合することによって融けあい、次第に新しい形と性質ができあがって全体を作り上げる。この現象をAFD現象と千島は呼んだ。
集合、融合、分化発展
クロレラは集まると融け合ってDNAを含む細胞核を持った立派な海綿細胞に生まれ変わるが、これもAFD現象で説明できる。
千島のいうAFD現象は量の蓄積によってすべてのものが質的に変化するという弁証法の原則に適用して得たものといえる。
そして集団が離れ離れになっていったり、散らばっていくという逆AFD現象は、死の方向であり、退行の原則になる。
科学は一般にはっきりしているものだけを対象にし、不明瞭でぼんやりしているものを嫌う傾向にある。はっきりした事実がありながら、型取りできないために、それを不明瞭だとして排斥するのは間違っている。
現代では赤血球はいつまでも赤血球のかたちや性質を持ち続けていると考える。
しかし、ラジウムは2000年経つと、鉛に変わる。経過途中の中間点を調べて分かった。
自然界はお互いに関連を持つ。
環境と人間との関連、生物と無生物との関連、これらがすべて連続的である。
外気は鼻の腔から気管を通して、体の奥に入り、肺の膜でガス交換を行っている。そこで酸素と二酸化炭素が出入りし、この壁が外部と内部の境界となって人間は自然と繋がっている。
消化器の中に詰まっている食物は、腸の膜を通じて内部環境である血液と繋がっている。そしてその食物が消化されたものは「食物モネラ」と呼ぶが、腸の絨毛とのはっきりした境を持たず、連続して移行している。
この発見が「血は腸で造られる」という説を千島に唱えさせた。
このようにすべては連続している。
生物だからといって、あるいは無生物だからといって、それを区別するのはあくまで人間の勝手であって、本来、自然界は区切りなく連続して繋がっている
自然界には何1つ、孤立し、他とつながりを持たないものはない。
AFD現象と逆AFD現象を一体にしたものが繰り返しの原理。
石油はエネルギーになったが、そのエネルギーは自然の力で再び凝集して素粒子になり、原子になり、分子へと発展する。物質の世界でも成長の法則や崩壊の法則が起こる
クラゲの逆の成長というものがある。
海水中に食物をなくして絶食状態にしておくとクラゲは触手や体が次第に吸収され退化し最後には発生初期の胚子のような細胞に逆戻りする。
少食、節食、断食もそうである。
逆成長を利用して、生体の中の時間の進行をうまく遅らせることで、長寿を手に入れる。
この世の中のすべてのものは成長と逆成長を繰り返して成り立っているといえる。
千島は、進化のもっとも大きな力は「自然界は共生で成り立っていることだ」と言った。
人間ですら、腸内菌である最下等のバクテリアと共生しなければ生きていけない。
自然界における左と右は相称的にみえて、実はすべてアシンメトリーである。
人間の体の右側には腕、足、耳、目、鼻孔、これらはそっくり左側にもある。
しかし、内部は左側に心臓があるからといって、右側を見ても心臓はない。
これはアシンメトリーである。
「真の美は少し不相称を含んだ相称である。不調和の調和である。完全なる調和は死に通ずる。動きが無いからである。」
「生命現象は波動と螺旋運動としてとらえるべきである。」
自然や生命の現象は、決して直線的に進むのではなく、海岸の波が寄せては返すように、月が満ちては欠け、昼と夜が繰り返すというように必ず波動を持っている。
その繰り返しは同じ円の上をぐるぐるまわっているのではなく、カタツムリの殻の輪のように螺旋を描き広がっていく。
まとめ
千島学説をまとめるとこんな感じかな。
①赤血球は生体内の細胞に変化する。
②赤血球は骨髄で造られるのではなく、消化された食べ物が腸の絨毛で変化したもの。血液は食べ物からできる。
③断食時、大量出血、また病気などの時は、細胞が赤血球に逆戻りする。負傷が回復するのも、赤血球が細胞に変化するため
④毛細血管の先端は開いていて、赤血球はそこから組織の隙間へ自由に入り込むことができる。
⑤健康的に生きるには精神、血、精神の安定、正しい食生活、適度な運動が重要になる。
⑥出血による赤血球の激減や、ヘモグロビン濃度の著しい低下も生命を脅かすものではない。輸血の場合、血管内に入った血液、特に赤血球は病気の部分に集まり、その組織を拡大しますます悪化させる。
⑦バクテリアやウイルス、細菌はそのもの自身からしか生まれないわけではなく、有機物の腐敗、その他の状態で、その有機物を母体として自然に発生する。
⑧からだの組織細胞は分裂によってのみ大きくなるというのは正しくない。細胞は細胞でないもの(赤血球)から新しく生まれ、からだは大きくなり、またその大きさを保つ。
⑨がんの原因は精神の問題、食事の問題、そして運動不足と「気動血」の調和から来ている。がん細胞は食生活をはじめとする生活改善をすればそれ以上大きくならず、小さくなっていく。がん細胞が消滅しないまでもがん細胞と共存して生きていくことができる。
⑩がん細胞は赤血球が変化してできる。体が病気の状態のとき、悪化した赤血球が集まり溶け合ってがん細胞に変わってゆく。また炎症やその他腫瘍なども、赤血球が体のその部分に集まり、変化して生じたものである。
⑪負傷が治るのも、その部分に赤血球が集まって、体の再生と修復をするからである。
⑩がんについては、体の全体を維持する装置が働いて、がん細胞が出現する。がん細胞もその時の体には必要で、治療する場合もその部分を切り取るのではなく、その部分を健康な状態に戻す努力が必要である。血液の汚れと滞りを改善すればがん細胞があっても人間は共存して生きていける。
⑪赤血球が組織細胞に変われたり、逆に組織細胞が血液に変われるのは、生物の体では原子力発電所のサイクトロン装置よりも数百分の一のエネルギーで原子転換できるから。
⑬生命弁証法ですべての現象は説明でき、すべての事象は時間の経過と場所の変化に応じて絶えず流転する。科学は一般にはっきりしているものだけを対象にし、不明瞭でぼんやりしているものを嫌う傾向にあるが、例えばなぜがんが発生したのか、がんとは何のために存在しているのかという視点が無いと、退治するのは難しいように、科学には哲学的な視点が必要である。
代謝の本も読んだが、人間の体はとても合理的でよくできているのはよく分かった。
何万年と人類が生きる中で、あらゆる外部環境に適応できるように生物の体って進化そしてきたと思うんですよね。
なので人間の自然治癒力はとてもよくできていると思うんです。
なのでもし自分ががんを患った場合にどうするか?病気になった場合はどうするか?
がんであり、余命まで宣告され、西洋医学でも完全に治療できるか分からないなんて言われているなら、自然治癒力に任せて、断食を取り入れ、治療を試みてみようかなとこの本読んで思いましたわ。
どうせ死ぬなら試してみたいという気持ちですね。
勿論この本に出てくる田中さんのような専門の人間の指導を受けながらやろうとは思うが。
本書には自分の信念で自分の健康を管理する自覚を持つ必要があると書いていたが、正しい知恵を調べ、考え、自分の健康を守るのは自分自身でしかないという気持ちで生きていく必要があるかなあと思わされる。