「海馬 脳は疲れない」という本を読んだ。
主に人間の視覚、聴覚など、あらゆる五感から取り入れた記憶を必要なものと不要なものに仕分けするという機能がある海馬という部位に言及した内容。
2002年に発売された本みたいです。
何の刺激も無い部屋に2~3日放置されると、脳は幻覚や幻聴を生み出してしまいます。また、固定した見方でおなじことを見ることにも、脳は耐えることができません。新しい刺激がないところでは、人間は生きていくことが難しくなります。脳は本能的には刺激があるほうに向かいます。
何もない環境にいたネズミを刺激的な環境に移すと数日で海馬が増えます。
海馬にとっていちばん刺激のあるものは空間の情報です。つまり、旅をするほど海馬に刺激が与えられると推測できます。
ま、この記事でも書いたことだけど、セミリタイア生活ってやはり毎日が単調の繰り返しになってしまうので、物足りない気持ちになっていくんでしょうね。
というか脳がそう感じてしまっていたというべきか。脳が求めてしまうから致し方ないというか何というか。
ただ、物足りない気持ちになってしまう原因が分かり、言語化できたという点で、その気持ちを俯瞰して見ることで、虚無感に襲われることは無くなった気がする。
それと、旅することが良いのね。セミリタイアラーに旅行する人が多いけど、脳には良いのね。確かに旅行って新しい場所や場面、発見があって常に新鮮だしね。
同じ場所にばかり旅行行くと、少し飽きるけども。
推理力は大人のほうが断然優れています。若い時にはつながりを発見できる範囲が狭いのですが、年を取っていくにつれてつながりを発見する範囲がすごく広がって、その範囲は30歳を超えたところで飛躍的に増える。
「今まで一見違うと思われたものが、実は根底では、つながってる。」
ということに気づき始めるのが、30歳を超えた時期だと言われています。
これも、確かに30代過ぎてから、例えば読書してる時に「あー、この内容とこないだ読んだ本の内容が繋がるなあ」なんて思うことが多くなった気がする。これ関係あんのかな?
それとか高校時代はちんぷんかんぷんだった電磁気学の内容も、図書館で手に取った本の内容を見てみると、今では何か理解しやすくなったなあと感じたりする。
この辺もやっぱ関係あったりするのだろうか。
そして、人間は本で読むよりも、実際に体験することで、より理解を深めることができる。ま、これは本を読む前から思ってたことではあるけど。
それを考えると、勉強や読書で知識だけやたら身につけるんじゃなくて、体験学習をたくさんこなして、何かしらスキルを身につけるほうが自分のためになりそうですね。
そして、何かをやるにしても、「俺ならできる。」と声に出して言うと、ほんとにできたり、「俺には無理だ。」と唱えると、呪いのようにホントにできなかったりするらしい。
何をやるにも、「自分ならできる。」と思いながらやるのが良いのかも。ただし、ハードルが高すぎると、心の内に秘めている「無理だ。」という気持ちに抗って挑戦することはできないような気がするので、そこはハードルの低いことからちょっとずつ挑戦していったほうが良いとは思う。
自分で小屋作って、身の回りのものも何でもDIYして暮らしてるセミリタイアの方もいるけど、そのような過ごし方のほうが有意義があって良さそうですな。
人間の認識は感性も含めて記憶の組み合わせでできています。ですから、創造性も記憶力から来ると言うことができます。新しい認識を受け入れてネットワークを綿密にしていくことが、クリエイティブな仕事というものに近づいていくヒントになるのです。ひとつ認識のパターンが増えると、組み合わせの増え方は統計学的には莫大な数になります。
年を重ねるごとに、体験や記憶も増えていくことでしょうから、より一層創造的になっていくことだろう。
しかし、これは逆の見方をすると、人間は無から創造することはできないということにもなる。
これはマークトウェイン著の「人間とは何か?」という本でも書かれていた。
人間は今まで見た、聞いた記憶からでしか、ものを考えることができない。「人間は機械である。」とマークさんは言うんですけどね。
私もブログで書く内容はだれかの受け売りだったりするわけです。
「人間は言われるうちが華だよ。」「苦労は買ってでもしろ。」なんて在職中にもよく言われたりしましたが、それもだれかが言うようになった格言を受け売りで説教する時に使ったりするけど・・。
所詮一人一人が発する言葉なんて、誰かが言った言葉を無意識にマネして言ってるだけなんでしょうね。
ということが、この本で脳科学的な視点から証明されたような内容でありました。