ヘタレな無職の日記

仕事ができず窓際に追いやられた無能リーマンが節約と投資、副業で資産形成し、31歳で退職しました。これからは少しの小遣い稼ぎ(Uberとか)と家庭菜園、資産切り崩しで生きていきます。

自分の幼少時代から大学時代までを語ってみる その⑥(大学時代)

さてと大学時代を書いていきますか。

 

大学時代のキャンパスライフ

大学時代は機械系の学科でした。

なんとなく「就職に有利な学科」として選んだ学科でしたが、当時は大学の全学科の中でも、留年率が高く、きつい学科と言われていたので、入学当初は不安すぎて号泣したことがあります。(笑)

1回生の前期から、月から土まで授業のカリキュラムがキツキツで、水曜日と土曜日だけ唯一午前中に帰れるだけでしたね。他の曜日は朝9時から午後6時までみっちり授業が入ってました。

入学前は「大学生活は楽。」という文系学生の戯言を鵜呑みにしてたので、そのギャップが激しく毎日が憂鬱でしたね。

ま、でもきつかったのは1回生の前期だけで、後期からは授業量も減り(それでも週6でみっちり授業はあったが、空きコマも増える)、大学生活も慣れていたのもあって楽でした。

 

授業については座学と実験や実習系の授業がありました。

座学については難しかったですが、これは勉強して単位を取れば良かったので問題無かったのですが、実習系の授業で自分は結構なやらかしをすることがあり、そこで自分の能力の欠陥に疑問を抱くようになりましたね。

例えば、エンジンを分解する実習では、分解はできたのですが、分解したパーツの順番を覚えていなかったために組み立てができず、サポート役の先輩に全部やってもらったことがありました。

この時、周りの学生は普通に難なくエンジン組み立てを自力で完了させ、早い時間に帰っていたのに、自分だけは組み立てができず、先輩の手伝いもあったのに関わらず、遅い時間まで残る羽目になったのを覚えています。

他には製図のCADを使う授業で、自分だけ操作方法が分からず右往左往しているうちに周りは次にどんどん進んでいたり、旋盤などの工作機械を使って部品を作る実習でも、置いてけぼりにされたりと実習系の授業で苦戦することが多かったです。

呑み込みが遅く、先生の説明を聞いていても分からず、躓いているうちに先生は説明をどんどん進めるので置いてけぼりにされるということがよくありました。

周りの友達はそれを見てゲラゲラ笑っていたのを覚えています。

どこか普通と違う自分に不安を覚えたのは今でも覚えています。

 

周りの友達が普通に彼女を作っていたことに関しても、自分は気になるようになりましたね。

高校時代に1人付き合ったことはあるんですが、大学生になってから、男ばかりの学部なのに周りが普通に合コンとかサークルで簡単に作っているのを見て、劣等感を感じていましたね。

そしてどうにか彼女を作るためにサークルに入ろうともしましたね。結果、失敗しましたが。

彼女を欲しがった理由が、周りと同じ普通、またはそれ以上に見られたいという承認欲求から来るものでしたからね。

彼女が欲しいんじゃなくて、彼女がいるという「ステータス」が欲しかっただけでした。

その彼女も顔が普通以上じゃないと嫌とかいうこだわりもありましたね。エゴの塊だ。

 

 

また、大学時代は授業後はみんなアルバイトをしていた。

私もそれが普通だと思っていたので、周りに置いて行かれたくないと思ってアルバイトもするようになりました。

とにかく周りが普通にこなせられることを自分もできないと安心できなくなりました。

最初に始めたアルバイトがガソリンスタンドでしたが、ブラックアルバイトでした。

とにかく客の多いスタンドで、来客の順番にガソリンを投入しなきゃいけないし、来客の順番を意識するのがホントに苦手でした。

一度でも間違えると、狂ったように怒鳴られるし最悪でしたね。

詳細は以下の記事で。

bombombonds05.hatenablog.com

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んで、このガソリンスタンドのアルバイトを辞めて、次にしたのがコンビニアルバイトでした。ここは平穏でしたね。覚えることは多かったですが、覚えてしまえば後は毎日の繰り返しなので、ルーチン業務は何とかこなせられるとこの経験を通して、そう思いましたね。

詳細は以下の記事で。

bombombonds05.hatenablog.com

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ガソリンスタンドのアルバイトがろくにできなかったので、就職活動を終えた頃、就職したらちゃんと仕事できるのか一抹の不安を感じていましたね。

「いやあんなブラックじゃないし、就職先はJTCのホワイトだから何とかなるだろ」と思うことにして、何とか不安を抑えてましたねw

 

大学の研究生活

3回生の後半から卒業に向けた研究生活が始まりましたね。

さて、この研究生活がさらに劣等感と今後の不安を煽るきっかけとなるものでしたね。

 

さて、研究生活が始まると、それぞれ希望の研究室に配属され(学業の成績悪い人は不人気の研究室へ)、研究テーマは最初から用意されており、それぞれ担当が振られます。

私はその研究室の中では学業の成績が1番だったので、一番難しい研究テーマを担当することになりました。(後からそういう風に先輩から聞いた)

この研究は毎週研究成果というか進捗、今後の課題とかをプレゼンで発表します。

このプレゼンがホントにダメでした。

 

やはり昔から思っていることを言語化することが苦手でしたね。

1人で遊ぶことが好きだったし、他人とあまりコミュニケーションを取らなかったのも影響してるかもしれません。相手の言葉に対する相槌の打ち方、間の取り方、そういった意思疎通方法が他の子より遅れているのは幼いころから実感はしていましたが。

それと自分の研究発表をプレゼンで言語化して伝えるのが下手なのは、自分の研究テーマのことをちゃんと理解していなかったことのもありますけどね。

興味ないのもありましたが、この研究の目的や何でそんな実験をするのか、使用する実験装置の原理とか、プレゼン後の質問で、よく聞かれましたが、そんなのが全く説明できませんでした。

始めならそれも良かったですが、次回でも同じこと質問されて、また答えられないということを何度も繰り返していましたね。

後から調べたけど分からないから放置とか、調べたけど何だったか内容忘れるとかそういうのが何度もありました。

研究テーマを理解していないだけでなく、言語化も下手くそなもんだから、教授からは「君とはコミュニケーションがしにくい。そんなんで就職できるのか不安だ。」と言われたことがありましたね。

質問してもパッと答えられない。そういう点も指摘の要因でした。

私自身質問されても「ここはこう言うべきか?いやいやこうか?」とか余計な事考えたりして、パッと答えられないことが多かったです。

または、こないだ質問されたことなのにまた答えられないとやばいと思って、何も言えなかったり、単純に「分からない」と言えば良いことを、「ここは答えられないとまずいのか?」と思って黙ってしまったり、そういうことが多かったです。

相手の質問内容も何言ってるのか理解できず、ちんぷんかんぷんな回答も何度となくやってしまいましたね。

教授から指摘された「コミュ障」についても、これ以降かなり意識させられるようになりました。

 

家庭環境

家庭環境は特に普通でした。

義母が酒癖悪いので、たまに怒らせて暴言吐かれたり、ねちねちと人格攻撃されることがありましたが、その時は家出して、義母が寝る時間まで帰らなかったりとかしてましたね。

この頃は、父親が義母のこのネチネチ攻撃の標的にされていることが多くなりましたね。

そのたびに父親は逃げたりして帰ってこなかったり・・。

この頃から義母と父親の関係も怪しくなってきたかなあ。

 

そういえば姉貴たちのことに関しては小学校時代の記事以来全然語ってなかったな。

姉貴たちとは祖母の家に住んでたから、たまに祖母の家に泊まりに行ったりして、その時に会って遊んだりはしてましたね。

姉貴たちと義母の関係はもう修復不可能でしたが、特に私とは不仲になったりしてない。

その後も関係は良好で、今も普通に仲良くやってますね。

 

以上。

幼少時代から大学時代の自分史を語ってみました。

こうしてみると、結構コンプレックスの歴史ですね。

小学校時代はぼっちコンプレックス、中学時代は陽キャラコンプレックス、高校時代は社会人コンプレックス、大学時代は常識?コンプレックス。

何か適当にネーミングしてしまいましたが・・。

基本何かを気にして、何かに不安を感じながら常に生きてました。

どこか自分に自信が無かったのもそうだが。

そして承認欲求も高め。今もそういうの少しありますが。

何というかどこか自分に自信無かったから、承認欲求が高めになり、誰よりも高い地位にいたがってしまったのもありますね。

それほど劣等感も強かったのだと思う。

小学校時代の家庭環境の壮絶さも相まって、大人に対する委縮頻度も強かった。

大学でも教授みたいな高圧的な年配の人と話すのは特に緊張して、極力話すのは避けてましたね。

年配の人と話せない点も今後サラリーマンになるうえで不安な点でしたね。ホントにやっていけるのかと。

結果、社会に出て地獄を見ましたが・・。

大学時代は社会人になることにおいて、自分の周りとの違いや違和感をさらに意識させられる時代でしたね。

「いや、自分は大丈夫だ!何とかなるはずだ!」と不安からかなり目を背けていました。

入社後の地獄を味わうまでは自分が社会不適合者だということに気づけなかったのは何とも歯がゆいことですね。