ヘタレな無職の日記

仕事ができず窓際に追いやられた無能リーマンが節約と投資、副業で資産形成し、31歳で退職しました。これからは少しの小遣い稼ぎ(Uberとか)と家庭菜園、資産切り崩しで生きていきます。

年度末の挨拶回りせずに帰宅

年末年始休暇の前日って、社内で挨拶回りしてる人多いよね。

「今年は色々お世話になりました。来年もよろしくお願いします。良いお年を」みたいな。

私はね、この挨拶回りすらも嫌だ。やりたくない。

「今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いします。良いお年を。」とか何で思ってもないことを上司や、はたまた役員にまで言わないといけないんだ。

てか、緊張するよ。

緊張すると、消耗するから、挨拶回りなんかせずに帰ろうかなぁと思っていると、普段の仕事ぶりがダメなんだから、せめて挨拶回りくらいはしたほうが良いんじゃないかなんて、思ったりしてしまう。

しかし、やりたくないことはやりたくない。上司なんて、私のこと煙たがってたし、役員なんかは私を窓際部門への異動を決定付けた張本人だし・・。

と、都合の良い理由付けをして帰ろうとすると、周りのその上司と役員とあまりうまくいっていないと思われる社員やら、うつで今まで休職していた社員など、何らかの訳あり社員は挨拶回りなどをせず、さっさと帰っているのを目の当たりにした。

お!よしよし、俺だけじゃない!

この勢力に私も付き従って、年度末の挨拶回りなどせずに、そのまま会社を出た。

結局、自分以外の誰かも同じ行動を取ってないと安心できないんだな俺も。

とまぁ、そんな感じで挨拶回りをせずに帰ってしまった。

さて、来年の出社日には新年の挨拶が控えているが、これも避けて過ごすようにするかな。

それくらいはしろよと言われそうだが、もう一ミリもやりたくないことはやりたくないという思いが身に染み付いちゃっている。

対人関係に関しては特にね。

「お坊ちゃん」っていう呼ばれ方

私はよく大人から「お坊ちゃん」って言われるんですよ。

これは昔から。

お坊ちゃんってさぁ、金持ちのボンボンで、苦労なく甘やかされて育ったみたいなイメージがあるんだけどさぁ、よく言われてしまうんです。

どういうときに言われるというと、例えばサラリーマンになる前なんか、ご飯を大人と一緒に食べるとき、1人だけやたら多くの種類のおかずを注文したりすると、「育ちが違うんだね。お坊ちゃんだね。」なんて言われたりした。

まあ、これはまだ良いとして、最近なんかは、例えば会社で今、現場でただ突っ立っている業務をしているんですが、現場の知らないおじさんから、「お坊ちゃん!」と呼ばれ、頼まれごとをされたことがある。

ただ突っ立って何もしない俺を見て、「良い身分だなぁ」とでも思っているのだろうか。

「お坊ちゃん」って呼び方は失礼

何かさ、他人のことお坊ちゃんって呼ぶ奴って、悪意を感じてしまうよ。

いわゆる人をボンボン扱いして、何の苦労もせず、楽して生きてきたみたいな扱いをするよね。

要はちょっとバカにしてるよね?

仕事ができずにプライドをズタズタにされたり、人間関係うまくいかずに、消耗させられたり、コミュ障故にこっちはこっちで通常の人間とは違う苦しみを味わいながら生きているわけです。

でも、普段は法違反を犯すことなく、真面目に生きているわけです。決して甘えて生きているわけではない。

それを自分が見た光景、表面しか見ず、周りが普通にこなせられることをこなせられないからといって、人のことお坊ちゃん呼ばわりし、今まで楽してきたツケが返ってきたみたいな言い方して!こちらの気苦労も知らないで!と思うわけですね。

こういう話をすると、以前の上司から飲み会の席で言われたことを思い出しますね。「ちゃんと育てないと、こいつ(私)みたいになるぞ。」ってね。

あの言葉は未だに忘れないよ。

私の両親を侮辱しているようなものだ。両親は両親でしっかりやってくれたと私は思っているんだがね。短気で酒ぐせ悪く、人を誹謗中傷するくせはあったけど、料理や清掃などの家事のやり方、常識やマナーなんかもしっかり教育しようとしてくれたよ。身に付かなかったけど。

酷い虐待なんかはもちろん受けなかったし。

だから、その人の行動1つ1つに「お坊ちゃん」だの「ボンボン」だの「親の教育が悪い。」だのケチつけるのは何か違いますね。人よりできないから甘えているのか?違いますね。

できるかできないかで、他人は何でも努力しているかしていないかどうかで判断しがちだ。

私だって好んで仕事ができないわけじゃないですし。

ま、そもそも、苦労していないことを嫌う風潮が、「お坊ちゃん」という呼び方に表れている気もする。

だから「お坊ちゃん」って呼び名は嫌いだよ。平気で冗談っぽく使う人多いけど。

自分も言わないように気をつけねば

という自分も、ある友人と旅行の計画を立てたときにね、友人がね、5000円以下の安いホテルは嫌だなんて言ったときは、イラッときて、「このお坊ちゃんが!」と言ってしまったことがあります。

これはこれで、ただ友人が安いホテルだとセキュリティやら居心地やら気にして、価格が高いほうが安心できると思って、価格にこだわってるだけですからね。

そこに、我慢やら強いるほうがナンセンスだったんですよね。私は理解できませんけど。

まあこういう友人とは旅行行きません。

でも、自分が納得できないことを言われ、ストレスが溜まり、「このお坊ちゃんが!」とつい言ってしまったわけです。ここから、ただ、ストレスをぶつけてしまっているだけというのがうかがえますね。

ま、こういう友人とは旅行は二度と行きませんけど。

でもホント、言葉には気をつけないといけません。

理系コンプレックス

Twitterで、クリスマスひとりぼっちの理系が集まって、千マス積分というゲームをやっているというツイートを見た。

ルールはよく分からんが、縦軸に積分する関数、横軸に∫(インテグラル)が記入されており、積分区間も設けられていたので、定積分を計算して、制限時間以内にマスに値を入力していくゲームだろうか。

ま、理系ってこういう専門科目を利用したゲームやらなんやら好きだなぁと思いながら眺めていた。

でも、こういうの見ると、思い出してしまうんだ。

せっかく理系の大学に進んだのに、大学で学んだ専門科目を活かすことなく、会社で仕事を干され、メンタルを病みたくないばかりに社内ニートに甘んじ、飼殺しにされている今の状況を思い出して、俺何やってんだろという気持を。

高校の時から、文系と理系に属性を分けられ、私は国語が苦手という理由で、理系を選択した。しかし、結果として理系としての役割を全うすることなく、このような形になってしまった。

比較的コミュ障が多く、居心地が良さげな理系だが、頭脳が足りてないのと社会に適合できないというだけで、理系という属性の中で疎外感を感じ、居場所が無くなる時の絶望感っていうかね。今は絶望してないけど、大学の同じ工学部の友人と集まったりする機会があるとき、普通に会話していて、疎外されてないんだけど、ちょっとした疎外感を感じるよね。

これは文系の人が社内ニートに落ちこぼれるより、個人的には理系から社内ニートに落ちこぼれるほうが、ギャップが大きいし、その分ダメージも大きいことからくるものだろうか。

理系のほうが大学時代、必死に勉強させられ、研究もやらされて、論理的な思考力も身につけやすい環境にいたのに、自分はその環境に身を置きながら、何のスキルも身につけられることができなかったと思い知らされる時のダメージの大きさですよ。

そういうのもあって、疎外感というものがより大きくなっていると感じる。みんなはちゃんとできるのにっていうか。

国語力がないのと、コミュ障ゆえに文系は選択せず、数学が少し得意というだけで理系へ進み、将来はエンジニアになろうと、工学部へ進んだ。

まぁ、工学部のほうが就職に有利というのが、理系に進んだ理由が大きかったが。

でも、実際はこのザマだ。笑うしかない。

まぁ、どこか文系にはない、理系の変なプライドもあったよな。文系からは根暗が集うださい集団みたいに扱われてたけど、理系には優れた論理性と知性がある。

それに属しているだけで、自分もそういう知的な人間になっている気分になれた。そう、気分になっていただけだ。

それが今このザマで、そのギャップに苦しめられているという感じかな。

くだらない。実にくだらないよなあ。

コミュニケーション能力が優れたトークがうまい文系にもなれず、数学、物理という高度な専門性を活かした知的な理系にもなれず、こんな社会の落ちこぼれになってしまった。(文系と理系のくくりはあくまで自分の偏見です。)

どちらにも属せず、何か悲しい気持ちになる。

「機械だの電気だの、あんなの好きじゃないとできないわな。好きじゃないと勉強も続かないだろう。」なんて言われてたりしますが、みんながみんな機械いじりが好きではないだろうけど、周りの技術職に就いた同期は、何とか仕事をこなして、周りについていけてるんだよな。

それ見ると、やはり自分の理系的な素養が無さすぎて(コミュ力、メンタルの強さもそうですが)、なのに理系に属してしまっている自分に対し、余計に劣等感が大きくなり、理系に対するコンプレックスというのかな?そういうのが酷くなる。

まぁ、ぶっちゃけ今はそこまで気にしてないけど、たまにこの理系コンプレックスが私を襲います。

理系になりきれなかった男のやるせなさというか、こんなんだったら理系に進むんじゃなかったというか。

複雑な気持ちですなぁ。

食事を誘った友人に、食事する店がミステリーショッパーで当選した店であることを伝えると・・。

ミステリーショッパーで当選したレストランを利用して、たまに友人とご飯を食べるときがある。

友人との飲み会でも、あまり身銭を切りたくないからだ。

ただ、相手にこれはミステリーショッパーで当選した店であることを伝えることがある。

従業員の接客対応を見るために指定行動を取らないといけないときがあるので、そのなかには禁止されている行動もあり、もちろん同席している友人もそれをしてはいけないので、調査失格を免れるためにも、事前に友人に説明しておくときがある。

しかし、相手にミステリーショッパーであることを伝えると、相手は途端に不機嫌になるあるいはあまり良い反応をされない。

例えば居酒屋での飲みに友人を誘った際に、ミステリーショッパーであることを伝えた時、「行列できてたら帰るからな。」と不機嫌そうに言われたことがある。

他にも姉と行ったときは、「友達にそれしたら嫌われるで。」と言われ、また別の友人には「君にはそんなケチケチした人間になってほしくないな。」とか言われた。

ま、別の友人に関しては、単なるケチケチ批判なんだけども。ま、何かしら文句言われてる時点でね。いずれにしてもあまり良い反応がされない。

そりゃあ、自分は謝礼貰って店を実質タダで利用できるが、友人は有料。何か自分がお金稼ぐために友人を利用しているように感じてしまっても仕方がない。

だから、友人と二人以上で行く必要のあるミステリーショッパーのレストランは自分が奢るようにしている。

でも自分が奢ってあげても、ミステリーショッパーであることを伝えると、何かあんまり感謝されない気がする。

何か「まぁ、自分はタダ飯食えて、さらにお金貰えるんだから、こっちも奢ってもらえて当然じゃん」みたいな態度を感じる。

一応、こっちは貴重な時間を使って、レポートを書いているんだけどね。「時は金なり」だぞ?俺の時間を売った金で奢ってあげてるんだぞ?エエイチクショー!!

もうちょっと申し訳なさそうにしてくれるか、「自分も出すよ!」みたいな態度を出してくれたら可愛げがあるのに!!

奢ることで謝礼に対する利益率も激下がりしますし。

じゃぁミステリーショッパーであること黙っとけば良いじゃないかと思われそうだが、そこは私にも良心があるのでね。何か騙してるみたいで辛いので。

だから謝礼から利用金額を差し引いた利益率がかなり高い案件しか狙わないようにしている。2人以上で来店しないといけない店はね。

ホント、誰かと食事行くときはミステリーショッパーを利用するのは良いが、相手にそれを伝えるとあまり良い反応をしません。

だから奢るんですが、ま、奢れば、相手に貸しを作ってやった気分になるので、気分良いのでこれはこれで悪くないかも

セミリタイア資金を貯めるには会社に長くしがみつくしかない。

私は入社前はセミリタイアを意識したことはなかった。

仕事ができないダメリーマンであることはガソリンスタンドのアルバイトを経験して何となく分かっていたが、ダメリーマンならダメリーマンなりに何とか定年まで会社にしがみつこうと思っていた。

しかし、実際に総合職として入社すると、あまりの仕事のできなさに、ここまでできないのかと絶望した。

まさかこんなに人とのコミュニケーション能力、成長途中で培っていかなければならなかった人と仲良くできるスキルなどがここまで重要だったとは想像できなかった。

人との折衝ができなかったり、対人恐怖症で人に話しかけるのが怖かったり、周りができるのにできないことがコンプレックスになり、自分を追い詰めてしまい、精神を病み、毎日が虚無感でした。

ここから、仕事を早く辞めて、楽なバイトだけで何とか生活できないかと考えるようになったわけだ。

ここが他のセミリタイアラーと違うとこかなぁ。他のセミリタイアラーは入社前からセミリタイアを意識してた方多いけれども。

そして、異動を経て、今の窓際族に行き着いてしまった。

窓際族は仕事が楽でプレッシャーが無い分、周りからは超馬鹿にされるのでプライドはずたぼろです。正直恥ずかしい。

こんな底辺に甘んじてて良いのか。大卒なのに何やってんだ俺はと葛藤に苦しみましたよ。

しかし、仕事は全然できないのは事実だし、仮に任されても周りから怒られまくりでメンタル病むし、普通に仕事任されるよりは窓際族である今のほうが私にとっては最適だと最近はよく思う。

給料も全く上がりません。セミリタイア資金貯めるなら給料が高いほうが良いに決まってますが。

しかし、私は給料を上げるために仕事を頑張ろうとすると、途端にメンタルをやられ、ろくに資金を貯められることなく、セミリタイアが早まってしまう結果になるだろう。

「給料上げて、もっと仕事頑張れ!死ぬ気でやれ!」とか言われますが、私は死ぬ気はありません。

セミリタイア資金を貯めて、ハッピーリタイアメントを目指そうと思ったら、仕事を頑張って給料を上げるより、できるだけ長く会社にしがみつき、会社からお給料を搾取するしかないのです。

搾取という言い方をすると、聞こえが悪いですが・・。

ま、でも、マルクス資本論かなんかには、労働者が給料以上働いたとしても、そこから出た利益は、会社の設備投資などに使われるだけで、労働者は利益は還元されず、搾取される運命にあるとかなんとか書いてたな。

大半の労働者が搾取されるなら、1人くらい逆に会社を搾取する人間がいても平気だよね。

私は35歳でセミリタイアを目指してますが、もし仕事がもっと楽になるなら、もうちょっとだけ長く会社にしがみついて、セミリタイア資金をもうちょっと貯めてから資産4000万くらいで辞めても良いかなとも思っている。

給料低くても、長くしがみつくことで、資産形成をするしかありません。

GONTITIの音楽を部屋で流す。

GONTITIのサントラを買いました。

GONTITIというか、アニメ「あまんちゅ」のサントラかな。

ま、そのアニメのサントラをGONTITIが手掛けているという感じか。

曲自体はギター調のヒーリング用音楽といった感じです。

TSUTAYAでCDを取り寄せしてもらって、レンタルで1週間借りて、その間に曲をパソコンに取り込みました。

このサントラを部屋にいるときはしょっちゅう流している。レストランに流れるBGMのようにね。

GONTITI音楽の日常生活における影響

休日に部屋にずっと居ると、虚無感に苛まれる時がある。仕事のせいでね。

そういうときに、ヒーリング曲であるGONTITIの音楽を流すと、ちょっとは落ち着く。ちょっとは。

また、勉強するときも、なかなか集中できないときはこの音楽を流している。すると少しはやる気が出て、勉強が捗る。

あくまで曲であり、歌ではないので、歌だと歌詞が頭に入ってきて集中できないが、曲なのでしばらく聴き続けていくと、雑音と同じで気にもしなくなる。

歌を口ずさむ人は多いが、BGMを口ずさむ人なんてあまり見かけませんしね。歌だと脳が歌のほうへ意識を向けてしまうが。だから勉強も捗るのかね。

よく、周りが騒がしいほうが勉強に集中できるといった話を聞きますが、そういう状態に近いですかね。

また、夜寝るときも、この音楽を流してそのまま寝ることがある。(電化製品をどんなに利用しても、電気代が月々定額である寮だからこそできることではあるが。)

特に眠りやすくなるということはないんだけど、やっぱり気分は落ち着くから、眠れないストレスにさらされるのは少し少なくなる。

ヒーリング曲がもたらす脳への影響

脳からは5種類の脳波が出ているわけですが、ヒーリング音楽は、リラックスしている時にでるα波を誘発されるため、癒しの効果があるようですが、GONTITIのサントラも良いようにα波を発しているんでしょうね。

集中力が研ぎ澄まされているときにも、α波が検出されるようなので、逆にヒーリング用の音楽を聴いてα波が発せられ、集中力が研ぎ澄まされるといった感じなのかな。

一番のメリット

やはり一番のメリットは、気分が暗く重い時に流すと、それなりに効果が大であることですね。レストランのBGMのごとく、音量小さめで流し、自分の部屋でリラックスできるのは良い。

日曜日の夕方とかに流すと良い。

完全に気分をスッキリさせるのは無理だが、落ち着かせるには良い。

「雇用の流動化!!」なんて声高に叫ばれていますが…。

日本では今、雇用の流動化が叫ばれていますね。

正社員を解雇しやすくすることで、転職もしやすくなり、企業も安心して正社員を雇いやすくなるという感じでしょうか。

現在の労働者の雇用が守られ、正社員をクビにしづらい状態では、企業も新しく人を雇うのに抵抗してしまうわけです。

よって正社員を多く雇えず、少ない従業員で業務を回すので、1人あたりの業務負荷が高くなり、必然的に厳しい労働環境になってしまう。

だから労働環境を良くするためにも、雇用の流動化は必要なことかもしれません。

しかし、「正社員をクビにしやすくしろ!!」とか「ダメなやつはクビにしろ!!」とか巷であまりにも雇用の流動化が声高に叫ばれている様子を見ると、仕事ができないダメリーマンの私にとってはモヤモヤした気分になります。

何かダメリーマンの私たちの気持ちを蔑ろにして、自分の都合で物を言ってる気がして。

そりゃあ労働環境が改善されるなら、雇用の流動化良いとは思いますよ。反対はしません。

しかし、それってダメリーマンの私たちにとったら、得なことなんでしょうかね。

アメリカみたいに実力至上主義でダメなやつは即クビにされてますが、そのぶん転職もしやすいのだろうけど、転職先でもまたクビにされて、また転職して、またクビにされて…

こんなの繰り返してたら、メンタル磨り減りそう。

雇用が流動化されたって、企業は優秀な人材が欲しいことには変わりないだろうし。

確かに正社員をクビにしづらい国は日本くらいで、他国はどこもクビにしやすいでしょうが。

それでも、「正社員をクビにしやすくしろ!」なんて私の口からは言えませんね。

他の無能サラリーマンでも、「正社員はクビにしやすくしたほうが良い。」だなんて言ってる方見かけますが、そんな自分の首を締めるようなこと言って良いの?と思ってしまう。

仕事ができずに悩んでいるダメリーマンの皆さんを苦しめることは言いたくないです。自分の首を締めるような発言でもありますし。

「正社員をクビにしやすくしろ!」なんて、自分に自信のある奴が言える言葉です。そんなにみんな自分に自信があるのか?アメリカでも仕事が普通にこなせる並みの人間でもクビを切られることがあるというのに。

でも労働環境は良くなってほしいと思う。奴隷のようにこき使われて、人格否定されたり、暴力振るわれたりといった話を聞いてると、ホントここは中世かと思ってしまう。

雇用が流動化されて労働環境が良くなるなら、そうなってほしいと思いますが、今の日本ではどうだろうな。

まともな大手以外の中小企業なんて現在でも法律無視して、普通に簡単にクビにされてたりしますしね。そして労働環境も悪い。賃金も安い。

こんなの聞いてると、雇用が流動化されて、日本の労働環境はホントに良くなるのかと思ってしまうが…

ま、なるにしても正社員がクビにしやすくなるなんて、私がセミリタイアしてからにしてくださいって感じです。

こんなこと言ったらまたクズ扱いされるかなぁ。