ヘタレな無職の日記

仕事ができず窓際に追いやられた無能リーマンが節約と投資、副業で資産形成し、31歳で退職しました。これからは少しの小遣い稼ぎ(Uberとか)と家庭菜園、資産切り崩しで生きていきます。

生産管理業務体験記 その3(業務での失態の数々②と職場の人間関係について)

本題に入る前に、以下のことを書いておく。

私の職場では基本的に現場の工程進捗状況はITを使った生産システムで見ることができ、生産指示を出すタイミングで、ICタグのようなものを発行し、組立、検査等の工程ごとにそのICタグを読み取って、1つの工程が終わったら、完了のチェックが入り、次の工程に移り、どの製品が今どこの工程の段階か監視できました。

ただ、ICタグが発行された時点から納期が設定され、その納期までに製品が完成していないと、課長から呼び出しがかかり、なぜできていないのか問いただされることになります。

なので、毎日チェックしていき、決められた納期を過ぎてまだ完成していないモノに関しては、現場に確認し、対応をしたりしていました。

たいていは部品の在庫が無くて滞っているケースとかですが、そういう場合現場から事前に報告はありました。

現場への負荷を意識しすぎて、営業への納期回答を軽視

私が担当していた機種で、同じ機種でも容量が大きい型式の製品は作るのに時間がかかるため、他の量産型の機種のように、何日間で作れという納期は無く、現場の裁量で作ることがある程度許されていました。

現場からはこの機種は3日かかるから、生産指示は1日1台くらいにしてほしいとか、これは1日でできるから1日2台でも大丈夫とか、そのような意見を参考に生産指示を出していました。

そして、営業から、これくらいの納期で作ってくれと言われても、現場の状況を見ながら、ある程度営業納期を延長してもらうことが可能と言うように先輩から説明を受けていました。

私はその1でも書いたように、営業への対応は他の部門がやってくれるので、私はしなくて良かったので、気軽に営業への納期回答をしてしまっていました。

しかし、現場への負荷を意識するあまり、営業への納期回答は平気で1か月遅れた納期を担当の営業対応の方に提示させたりしたため、当然営業側からクレームが来て、課長からも呼び出しを喰らい、「納期は絶対守れ!!」と工程組み直しを余儀なくされました。

そうなると、当然今度は現場への負荷がかかってきます。今まで納期を遅らせた製品がたくさんあったので、現場は休日出勤を余儀なくされました。

まあ、そんなことがあったので、それからは現場と相談しながら、ある程度負荷がかかってしまうことも承知してもらって、何とか納期を守ってもらいながら、製品を作ってもらうことができるようになりましたが、まあほぼ現場が本領発揮してくれたおかげです。

さて、これで私がしてきた失態についてはここまでにしておきます。他にもたくさんありますが、細かいことなので割愛します。大きな失態はこんな感じかな。

何というか自分でも書いてて思ったけど、課長が怖くて課長の顔ばっか伺って動いてますね・・。

 

職場の人間関係はどうだったか。

職場の人間関係については、上司以外は私の部門にいた方々や、その周辺の部門の方は比較的優しかったと思います。

上司に関してはこの記事で詳細に書いている。↓

https://nbombombonds.com/2017/04/03/post-17/

ただ、私の他に、年配の方で仕事ができない方がいたのですが、その方に対する風当たりが私が所属していた部門は強かったですね。

職場で面白いと人気だった年配の先輩がいたんですが、その方も、その人に対してきつい態度で接することが多く、怒号も上げていたことがありました。仕事ができないその方に話しかけられただけでも、態度がきつく、あからさまでしたね。その人気だった年配の先輩は優しいとも評判でしたが、彼らの言う優しさとは何なのだろうか・・。

それと生産管理側は製品を作る側の現場に対し、強気で行けという雰囲気がありました。

作ってもらう以上、文句が言われてしまう立場だからか?だからこそ強気で行けというスタンス。

それが行き過ぎて、現場に無理強いすることも多々あり、人間としてどうなのかなあと思う職場でもあった。

逆に言うと、そうじゃないとやっていけない職場だったかなとも言える。こういうのも資本主義からくる競争社会の弊害だと思いますね。

 

営業に納期回答をしてくれる部門はほぼ女性ばかりで、お姉さん方は優しい方が多く、男性以外は非常に安心感のあるグループでしたね。

1人は穴を空いた靴下を履いてばかりいた私を見て、新しい靴下をいっぱい買ってくれたこともありました。お母さんみたいでしたが、逆に言うと、アットホーム感があって、この方々と接する時は緊張しなかった。

 

部品を購入してくれるグループも女性ばかりで、こちらは少し厳しい方も多かった。調達もそうだったけど、外注対応するグループってピリピリしていましたね。納期調整するのに色んな部署から煽られたりして大変だったのかな?

 

一方、現場で働く作業員の方々は怒られることも多かったですが、次の日にはケロッとしていて、普通に接してくれたり、優しく接してくれたりしたので、怒られても安心感がありました。

私が日々の業務で精神的に疲弊し、トボトボ俯いて歩いていると、「お~い、大丈夫か?」と心配そうに声を掛けてくれたり、会社主催のお祭りの時にも、声を掛けてきて、一緒に輪の中に入れてくれたりしたので、比較的温厚な方が多かったです。

班長には嫌われてしまいましたが・・。班長も最初は優しかったですが、私が同じ失敗を何度もするようになってからは、冷たくなり、表向きはニコニコしているんですが、陰では悪口を言うようになってしまった・・。あんだけ優しくしてくれてたのに、態度が変わってしまった時は悲しかったのを覚えています。まあ私が悪いんですが・・。

それでも、班長以外の方々は怒ることはあっても、最後まで優しかったので、こんな方々に今までどれだけ酷い仕打ちをしてきたんだろうと思うと腸が煮えくり返りそうになりました。

仕事で失敗しても開き直ろうとし、どんだけ迷惑を掛けたとしても、良心が痛まないように感覚を麻痺させて、自分を苦しめないようにしてきました。普段のルーチンワークでもこの有様だったので、新機種立ち上げなんて一大プロジェクトをやらされたら、どうなっていたか・・。

しかし、こればっかりはしんどくなったので、以後、仕事に対する熱意を完全に無くし、会社の上層部にやる気がないアピールをすることで、自分でもできるレベルの仕事の職場に左遷されるよう行動するようになりました。自分でもできるレベルの簡単な仕事をこなすことで、誰にも迷惑を掛けることない職場への異動を狙うようになったんですよね。自分も精神的にも参っていましたし。

さて以上が私が生産管理時代の体験してきたことでございます。

ココから、また次の部署に飛ばされることになったのですが、次の部署についてはまた次回、いつになるか分かりませんが書いていきたいと思います。