ついこないだまでは、セミリタイアしたというのに、あまり幸福感を感じられずに、逆に虚無感に襲われ、鬱っぽくなって、セミリタイアライフを楽しめていないことに悩んでいました。
しかし、今はだいぶ改善されてきました。
この無職生活がようやく馴染み、徐々に幸福感を感じられるようになってきています。
そこで、この幸福感が感じられるようになるまでにどんな紆余曲折を経たか、書いてみたいと思います。
まずは以下の記事でも書いたように、虚無感に襲われそうになったら、敢えて受け入れるようにしたわけですね。
すると、虚無感は来そうで来なかった。逆に拒むと襲われるって感じでした。
んで、ここである気づきを得たわけです。
私はセミリタイアすれば、自然と幸福な気持ちで過ごすことができ、毎日がワクワクで楽しいものだと思っていました。
しかし、蓋を開けてみれば、毎日のように虚無感に襲われ、鬱っぽくなることが多く、私が考えていたセミリタイアライフとギャップがあって苦しんでいたわけです。
でも謎の虚無感をあえて受け入れるようにしてみたところ、もしかして自分はセミリタイアライフに期待しすぎていたのかなと思いました。
ではセミリタイアライフとは何なのかと考えてみたところ、自分の中では答えは「誰からも何からも縛りが無い、孤独で自由な生活」でした。
孤独で自由な生活・・。
多分虚無感の原因は、この「孤独で自由な生活」という点に向き合えていなかったことが原因かもしれません。
孤独は前回の記事でテーマにした「寂しさ」と向き合えていなかったこと、自由な生活とは、「何をするのも自由の生活」と向き合えていなかった。
「寂しさ」は前回の記事でも書いたように、緩和されたが、「何をするのも自由の生活」については、毎日暇で何もしない生活も自由な生活と認め、何もしない日々を肯定して良いのか?何か行動しなければならないのか?と悩んでいたんじゃないかなあと思いました。
私の場合は家庭菜園と配達とかしてて、そうそう暇ではないんだけど、それ以外はダラダラして過ごしてたから、これってどうなんだろ?って思ってました。
多分、空手やってたのもそれが原因。
んで、その「暇で何もしない生活」自体が実は幸福なことなんじゃないかと思い、そうしたら何か心が楽になりました。
そして・・。
「あの山綺麗だなあ」
「あの夕焼け綺麗だなあ」
「この建物、レトロで哀愁感じて良いなあ~。」
とか何気無い風景に対して、感動を覚えるようになってきた。
多分、これこそが幸福感なんじゃないかな?
この状態でARIAとかのゆるゆる癒し系日常アニメ見たら最強ですよ。(笑)
だから何気ない日常が幸せなことなんだろうね。やはり。
何もしない生活に対する強迫観念が極端に強かったのかも。
また、何かする時は、その何かをしたい時で良いと思う。
私の場合は好きなことは家庭菜園、釣り、サイクリングとかがそうですが、その好きなことも、やる気がない時はやらない。
今の自分の気持ちに従って、何がやりたいかを決めて、何かをやる。そういう気持ちで過ごしたほうがストレスも少なく、のんびり過ごせて、幸福感を感じて過ごせてるような気がする。
無理に旅行とかもしない。
あ、でもやる気なくても、やらないといけないときはありますけどね~。
家庭菜園なんかは世話しないと作物育たないし・・。
まあこれは健康な体であることが前提ですね。
睡眠もしっかり取って、睡眠負債を抱えないように意識する。余計な毒(添加物や農薬など)を体に入れないように意識もしてる。
こういう生活習慣的なものを大切にすることも重要と思います。
特に睡眠は意識的に取るようになってからも、虚無感に襲われることは少なくなりました。睡眠取ることで交感神経と副交感神経からなる自律神経の活動量が安定するからだろう。自律神経は睡眠中に回復できますからね。
やはり睡眠は大切だ。
まあでも、カラオケの暗い個室とかにいると、なぜか虚無感っぽいものが襲ってくる。
これから日照時間が短くなっていくし、再び虚無感に襲われる毎日になるかもしれない。
まあ、その時はその時で考えるようにしよ( 一一)